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大阪地方裁判所 平成3年(わ)3283号 判決

主文

被告人を懲役二年に処する。

未決勾留日数中六〇日を右刑に算入する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(犯罪事実)

Aは、平成三年一月二五日まで、大阪市中央区本町三丁目六番二号に本店を置く総合商社であるイトマン株式会社(平成二年六月二八日付け定款変更前の商号「伊藤萬株式会社」。ただし、商号変更登記は、平成三年一月四日付け。以下「イトマン」という。)の代表取締役社長として、同社を代表し、取締役会の決議に基づいて同社の業務を総理し、同社社員を指揮監督するなど、同社の業務全般を統括していたもの、Bは、平成二年一一月八日まで、同社の常務取締役・企画管理本部長として、同社が行う不動産開発事業の企画、開発及び融資に関する業務を統括していたもの、被告人は、不動産の管理・売買・仲介、コンサルタント業務等を目的とする株式会社アルカディア・コーポレーション(以下「アルカディア」という。)及び雑誌「創」を発行する有限会社創出版の代表取締役であるとともに、雑誌「ビッグ・エー」を発行する株式会社ビッグ・エーを経営するものである。

A及びBは、不動産開発事業について、イトマンからの多額の融資を決定し実行するに当たっては、その事業の成否、採算の見通し、融資先の信用状態等について、あらかじめ必要な調査を行うなどしてこれらを的確に把握するとともに、融資金の回収を確実に確保するに足りる担保を徴求する措置を講じるなどして、イトマンに損害を加えることのないよう、同社のため、適切に融資の許否を決定し、かつ、融資実行に際し、適切に条件を設定するなど、誠実にその職務を遂行すべき任務を有していた。

ところで、アルカディアが神奈川県足柄下郡箱根町畑宿字上草苅三三二番二等所在の富士箱根伊豆国立公園内の同社所有地(以下「本件山林」という。)で開発すると称する墓地の造成開発(以下「本件霊園開発」という。)については、神奈川県知事に対する開発行為許可の事前申請もされず、かつ、墓地造成開発の許可を得る見込みもほとんどないなど、事業を実現できる見通しがほとんどなく、しかも、本件山林には、既に先順位の抵当権(債権額二五億円)が設定されており、その担保余力はほとんどない状態であった。また、被告人は、資金繰りに窮しており、多額の融資を受けても、返済する能力はなかった。

ところが、被告人がA及びBに対しアルカディアへの融資を強く求めたことから、平成二年一〇月上旬ころ、以上三名の間に、本件霊園開発事業に関して、イトマンからアルカディアに対し不正に一〇億円の資金を融資する共謀が成立した。そこで、A及びBは、そのころ、右共謀に基づき、被告人の利益を図り、イトマンに損害を加える目的をもって、それぞれその前記任務に背き、イトマンが、その子会社である伊藤萬不動産販売株式会社(Bが代表取締役。以下「伊藤萬不動産販売」という。)の名義でアルカディアに対し、アルカディアによる本件霊園開発の開発資金の名目で融資するについて、その融資金が被告人の資金繰りに充当され、本件霊園開発の資金には充てられない上、前記のとおり、その事業の成否の見通しが立たず、しかも、本件山林には担保余力がなく、かつ、被告人には、その返済能力がないのに、本件山林のみを担保として、融資債権の回収を保全するに足りる確実な担保を徴求するなどの措置を講じることなく右融資を決定した上、同月九日ころ、大阪市中央区内本町二丁目三番五号所在の大阪府民信用組合本店から、伊藤萬不動産販売の名義を使用して、東京都港区虎ノ門一丁目三番一号所在の株式会社三菱銀行虎ノ門支店のアルカディア名義の普通預金口座に現金九億九六〇〇万円を振込入金して、その貸付を実行し、その結果、当該貸付債権の回収を著しく困難にさせて、イトマンに対し、同金額相当の財産上の損害を加えた。

(証拠)〈省略〉

(事実認定上の補足説明)

〔A及びBに対する特別背任罪の成否について〕

第一  任務違背について

一 A及びBのイトマンにおける地位及び職務権限

関係各証拠によれば、次の事実が認められる。

(1) イトマンは、大正七年に設立され、平成二年一〇月当時、大阪市中央区本町三丁目六番二号に本店を置き、定款における商号をイトマン株式会社、商業登記簿における商号を伊藤萬株式会社とし(平成三年一月四日商号変更登記)、資本金約五三〇億円、平成二年九月期中間決算における売上高約三六〇〇億円に及ぶ総合商社であったが、平成五年四月一日、住金物産株式会社に吸収合併された。

(2) Aは、昭和五〇年一月、株式会社住友銀行(以下「住友銀行」という。)の常務取締役に就任したが、同年四月、当時経営危機に陥っていたイトマン(当時の商号は「伊藤萬株式会社」)の再建のため、同社に派遣され、同年五月代表取締役副社長、同年一二月代表取締役社長に就任し、以後、平成三年一月二五日に代表取締役を解任されるまで、その職にあった。

そして、Aは、イトマンの代表取締役社長に在職中、同社を代表し、取締役会の決議に基づいて同社の業務を総理し、同社社員を指揮監督するなど、同社の業務全般を統括する権限を有していた。

(3) Bは、株式会社協和綜合開発研究所(以下「協和綜合開発」という。)及びその関連会社(以下「協和綜合開発グループ」という。)を経営し、東京銀座の土地の地上げ、宅地開発、ゴルフ場開発等の不動産開発事業のほか、平安閣グループとしての冠婚葬祭事業、雅叙園観光株式会社(以下「雅叙園観光」という。)の乱発手形の整理等を手広く手掛けていたものであるが、Aの誘いに応じて、平成二年二月一日イトマン理事・企画監理本部長に、同年六月二八日には同社常務取締役に就任し、以後、同年一一月八日に退任するまでの間、その職にあり、同年五月一日から同年一一月二日までの間は、伊藤萬不動産販売の代表取締役社長も兼務していた。

そして、Bは、イトマンの常務取締役・企画監理本部長に在職中、同社が行う不動産開発案件の企画、開発及び融資に関する業務を統括する権限を有していた。

二 A及びBが遵守すべき任務

1 本件融資の概要

関係各証拠によれば、平成二年一〇月九日ころ、イトマンは、その子会社である伊藤萬不動産販売名義により、アルカディア代表取締役社長である被告人との間で、アルカディアに対し、本件霊園開発の事業資金として一〇億円を、利息を一〇パーセント(三か月ごとに前払い)、遅延損害金を一八パーセント、返済期限を平成三年九月三〇日とし、アルカディアが負担する債務を期日までに履行しなかったときは、当然にその期限の利益を喪失するとの約定で貸し付ける旨の金銭消費貸借契約、及び、その担保として、アルカディアが同社所有の本件山林に、債務者をアルカディア、根抵当権者を伊藤萬不動産販売、極度額を一一億円とする根抵当権を設定する根抵当権設定契約を締結した上、同日、イトマンが大阪府民信用組合から借り受けた一〇億円のうち同組合が天引した利息四〇〇万円を除く九億九六〇〇万円を前判示のとおりアルカディア名義の普通預金口座に振込入金したこと(以下「本件融資」という。)、イトマン社内における不動産案件与信申請書では、貸出金の使途は造成費用とされ、本件霊園開発の総費用四六億円の一部を貸し付けるものとされていたことが認められる。

2 本件融資当時のイトマンの状況

関係各証拠によれば、次の事実が認められる。

(1) イトマンでは、Aの前任のCが、昭和四七年二月、東山浄苑(真宗大谷派霊廟)納骨壇販売事業(以下「東山浄苑事業」という。)を受注し、イトマンが建設費等を全額立替払いして、納骨壇の販売代金から建設費等を回収する計画の下に、昭和四八年六月には建設工事が完成し、当初は二年間で納骨壇を完売する予定であった。

ところが、販売が遅々として進まず、建設資金等の借入金の金利や販売経費の負担が増えて、イトマンの屋台骨を揺るがしかねない事態に至った。そこで、イトマンは、関連会社を含め総力を上げて販売に取り組み、イトマン社員、関連会社、取引先等にも紹介斡旋したが、売上が伸びず、最後には、イトマンの役員や管理職に半強制的に割り当てて購入させるなどして、昭和六一年九月ころに、ようやく事業が完了したが、その結果、イトマンは、二〇億円を大きく上回る損失を被った。

(2) 墓地霊園は、大量生産・大量消費になじむ商品ではなく、広告宣伝の効果も限られており、個々の販売員が地道に顧客を開拓する必要があるなど、販売効率が悪く、金利負担や人件費等の経費もかさむため、霊園開発事業の収益性は低いとされている。イトマンでは、東山浄苑事業の失敗を通じて、霊園開発事業のこのような問題点が周知されて、墓地霊園事業をタブー視する空気が生まれ、Aも、社員に対して、「墓は難しい。」とか、「イトマンでは墓地はタブーだ。」などと発言していた。そのため、本件融資前にイトマンの東京不動産事業本部に持ち込まれた墓地霊園開発事業は、いずれも決裁まで至らないまま不採用となった。

右認定に反し、東山浄苑事業が成功したとするAの公判証言(第二回)は、同人の検察官調書謄本(検察官証拠請求番号二四三、以下、証拠に付記した番号はいずれも検察官証拠番号であり、「謄本」の表示は省略する。)に反し、かつ、D及びEの各公判証言、E(一四九)、F(一六八)、G(一七四)、H(一七五)及びI(一七六)の各検察官調書に抵触するから採用しない。

以上のように、Aは、東山浄苑事業の失敗を通じて、霊園開発事業の難しさを十分認識していたと認められる。

しかも、後に詳しく認定するとおり、本件融資が行われた平成二年一〇月当時は、公定歩合六パーセントという高金利時代を迎え、金融機関による不動産関連融資の総量規制が行われた影響などにより、不動産の販売が困難な状況にあった。しかも、イトマンは、不動産関連の過剰な投融資が表面化してマスコミに書き立てられ、金融機関が貸付金の引上げを図るなど、信用不安が現実化し、資金繰りが逼迫して、いつ倒産してもおかしくない状態に陥っており、そのため、イトマンでは、Aの指示により、不動産案件に対する新規の投融資をストップし、融資金を回収するなどして、不動産関連投融資を大幅に圧縮する計画を公表せざるを得ない状況にあった。

3 A及びBが遵守すべき任務

以上のような状況下で、イトマンにおいて前認定の職務権限を有するA及びBは、本件融資の許否を判断するに当たり、本件融資の目的である本件霊園開発の事業の成否、採算の見通し、融資先であるアルカディア及び被告人の信用状態等について、あらかじめ必要な調査を行うなどしてこれらを的確に把握するとともに、融資金の回収を確実に確保するに足りる担保を徴求する措置を講じるなどして、イトマンに損害を加えることのないよう、同社のため、特に慎重かつ適切に融資に許否を決定し、かつ、融資実行に際し、適切に条件を設定するなど、誠実にその職務を遂行すべき任務を有していたものと認めるのが相当である。

三 A及びBによる任務違背

弁護人らは、A及びBによる任務違背について、本件融資に当たり、A及びBが通常の業務執行の範囲を逸脱した事実はなく、任務に違背したとはいえない旨主張する。

しかしながら、関係各証拠によれば、次の事実が認められる。

(1) 平成二年九月二六日ころ、Bは、被告人から、本件霊園開発等の事業資金を名目とする四〇億円の融資を求められ、その事業計画書、建設会社の見積書等を受け取り、事業内容について口頭で説明を受けたが、その際、被告人は、事業実施の前提となる不動産開発の許認可の可否について、「国会議員を使って頼んでいるから大丈夫。」と説明し、本件山林の評価額については、「二五億円の担保が付いているが、この土地は五〇億から六〇億の値打ちがある。」と説明した。そこで、Bは、イトマン企画監理本部E副本部長に対して、本件霊園開発事業及び本件山林に関する調査を指示した。

(2) 同年一〇月二日ころ、Bは、E副本部長に依頼した調査が進んでいないことを知りながら、Aに対し、口頭で、被告人からの申し出の概要を伝えて融資の可否を打診したところ、Aは、本件山林の価値や本件霊園開発の詳しい内容について全く問い質すことなく、「それじゃあ、一〇億円くらいで話を付けてくれ。」と指示した。

同日、B、E副本部長、Jイトマン東京開発室部長、被告人らが出席した会議の席で、被告人が本件霊園開発に対し融資してほしい旨要請した。これに対し、E及びJが、こもごも「霊園開発事業をやるには宗教法人でなければならない。場所は国立公園内で開発許可は取れない。イトマンは、過去に霊園事業でひどい目に遭ってやけどしているし、墓地がらみの融資は社内的に無理だ。」などと発言したところ、被告人は、「宗教法人は準備してある。神奈川県知事の秘書室長やブレーンは学生運動時代の仲間だから、開発許可は間違いなく下りる。」と釈明した。

(3) 同月三日ころ、Bは、前記J部長から、現地調査の結果として、「現場近くにゴミの焼却場や生ゴミの埋立場があり、悪臭がひどく、イメージが悪い。開発許可を取るには、法令上の制限が厳しすぎる。交通の便も悪い。土地の高低差がひどく、造成工事に金がかかりすぎる。」との報告を受け、その際、E副本部長、J部長が、ともに、とても融資できる事業ではないとの意見を述べた。

ところが、同日、Bは、被告人に対し、「担保の関係で、一〇億円しか融資できない。」と伝え、四〇億円の融資を要求する被告人と押し問答の末、一〇億円の融資が決まった。そこで、Bは、翌日、Aに対しその旨を報告すると、Aは、「それは良かった。」とこれを了承した。

(4) 同月八日ころ、Bは、再度Aに、本件融資の了解を求めたところ、Aは、「実行してくれ。ただ、融資するときは、イトマンを通さないようにしてくれ。」と指示した。そこで、Bは、財務担当のDに、一〇億円の資金繰りを依頼するとともに、Eらに、本件融資の社内手続を指示した結果、イトマンが子会社名義で秘密に保有していた株券を担保に大阪府民信用組合c代表理事から一〇億円を借り入れた上、同月九日午後、伊藤萬不動産販売名義で、イトマンからアルカディアに対する九億九六〇〇万円(四〇〇万円は大阪府民信用組合が天引きした利息)の本件融資が実行された。

しかし、本件融資が実行されるまでに、A及びBは、本件山林の価格調査の結果を聞いておらず、また、イトマンでは、被告人及びアルカディアの信用調査も行わず、しかも、開発許認可の見通し等についての被告人の口頭釈明の裏付け調査も行っていなかった。

(5) A及びBは、本件融資当時、被告人が資金繰りに非常に困っており、本件融資金も、本件霊園開発に利用されることなく、被告人の資金繰りに流用されることを知りながら、これを容認しており、しかも、被告人及びアルカディアに本件融資金を返済する能力があるとも考えていなかった。

右認定に反し、本件融資に関する不動産案件与信申請書が融資実行後に決裁のため上がってくるまで本件融資については知らなかったとするAの公判証言(第二回)は、同人自身の公判証言(第一回)、その他関係各証拠に照らし採用しない。

以上の事実によれば、A及びBは、本件事業の成否、採算の見通しについて悲観的な調査結果が出ていたのに、被告人の釈明内容について裏付けを取らず、しかも、融資先である被告人及びアルカディアに返済能力があるとも考えていなかったのに、担保となる本件山林の価格調査の結果を待つことなく、かつ、本件融資金が被告人の資金繰りに流用されることを知りながら、本件融資を決定し実行したのであるから、右両名がその任務に違背したことは明らかである。したがって、弁護人らの前記主張は理由がない。

第二  財産上の損害について

一 本件山林の担保価値

1 開発許認可の取得の困難性

関係各証拠によれば、次の事実が認められる。

(1) 本件山林において霊園開発を行うには、次の法令による各種規制を受ける(括弧内は神奈川県における所管部署)。

① 国土利用計画法に基づき定められた神奈川県国土利用計画及び神奈川県土地利用計画による指導(企画総務室土地対策班)

② 自然公園法上の開発行為の許可(自然保護課)

③ 墓地、埋葬等に関する法律上の墓地経営許可(環境衛生課)

④ 墓地造成に関する指導基準に基づく指導(企画総務室土地対策班)

⑤ 都市計画法上の開発許可(都市整備課)

⑥ 森林法上の地域森林計画対象民有林の開発行為の許可(林務課)

⑦ 環境影響評価条例に基づく動植物等周辺環境に与える影響についての調査・評価(環境政策課)

(2) 神奈川県では、土地の開発事業を行おうとする者からの相談には、企画部企画総務室土地対策班が対応し、県土地利用計画方針に照らして検討に値して、総合調整の必要があるとなれば、副知事を委員長、関係各部長を委員とする土地利用調整委員会の審議案件とし、その承認があって初めて個別の許認可法令の手続に入ることとされ、検討に値しないとなれば、計画を断念するよう指導し、各所管課でも許認可申請が受理されないこととされている。

土地利用調整委員会が承認した場合には、承認後に、前記のような各種許認可、調査・評価等の手続に入ることになり、いずれの手続も相当の期間を要するとされている。

(3) 本件山林は、登記簿上の面積が合計四八万六五一五平方メートルに及ぶところ、その全域が都市計画法における未線引都市計画区域用途無指定地域(以下「未線引白地」という。)に当たり、神奈川県土地利用基本計画により、市街化調整区域に準じて、大規模開発(県の内規により三〇〇〇平方メートル以上の開発)は原則的に抑制することとされている。

(4) 本件山林は、全域が自然公園法等に基づき富士箱根伊豆国立公園第二種特別地域A区域に指定されている。同区域は、箱根地区における建築物等設置審査基準(神奈川県内規)により、自然環境を保護するため開発行為を厳しく規制する区域であって、緑保全率(人為的な工作物を除く概ね樹林地とみなされる面積率)が八〇パーセントと定められている。

神奈川県において、同区域内で開発行為が認められたのは、一戸建ての別荘のみであり、集合住宅や墓地は認められておらず、将来とも自然保護の観点から同様の取扱いをする方針とされている。

(5) 墓地、埋葬等に関する法律上の墓地経営許可については、神奈川県足柄下郡箱根町の国立公園内で、寺院の小規模なものについてのみ、法令等により定める基準で認められているが、神奈川県では、大規模なものは、従来から認められていないし、将来とも認めない方針とされている。

(6) 墓地造成に関する指導基準(神奈川県内規)によれば、一ヘクタール以上の一団の土地に関する墓地造成は、自然公園法にいう自然公園(国立公園を含む。以下同じ)等を含む土地については、原則として認められず、例外的に認められるのは、既に開発の手が加えられ、荒廃地になっている場合であって、そのまま放置するよりも計画を認めて緑を創造させる方がより良いと判断されるときに限られる。

(7) 被告人は、本件山林における霊園開発について、昭和六〇年一一月九日付けで、神奈川県から、前記墓地造成に関する指導基準、箱根地区における建築物等設置審査基準及び墓地・埋葬等に関する法律による厳しい規制を理由に、実現性が見込めないとの回答を得た。

さらに、被告人は、昭和六一年一一月一七日ころ、財団法人国際宗教同志会連盟(以下「国際宗教同志会連盟」という。)会長として、同連盟理事Kとともに神奈川県庁に赴き、L副知事、M企画部総括企画主幹らに対し、本件山林における霊園開発に対する許可を求める陳情を行ったが、その際、M主幹らから、墓地経営資格が第一義的に市町村とされていること、同連盟の寄附行為によれば、墓地経営資格がないこと、墓地造成に対する指導方針上、自然公園内での墓地造成は制限されていることを理由に、計画を断念するよう指導を受けた。

(8) 神奈川県においては、本件山林周辺地域での墓地造成の許可申請はなく、自然公園内の墓地公園も存在しない。

以上の事実によれば、現行の法令による規制を前提とする限り、本件山林における本件霊園開発が許可される可能性はほぼ皆無といわざるを得ない。

これに対し、弁護人らは、開発行為について経験知識のある者であれば、本件山林に対する各種規制があったとしても、やりようによっては、霊園開発の許認可を取得することも十分可能である旨主張する。しかし、弁護人らが、開発許可を受けた例として指摘する富士桜自然墓地公園は、開発行為に対し許可を要する国立公園の特別地域(自然公園法一七条)である本件山林とは異なり、開発行為の届出で足りる国立公園の普通地域(同法二〇条)内にあり、また、弁護人らが、国立公園特別地域内で事前協議申請書が受理された例として指摘する静岡県田方郡函南町のメモリアルパーク墓地公園も、平成元年一〇月一八日付けで町から申請者に出された許可の条件及び要望について、申請者が全く回答しなかったため、平成四年八月二六日付けで取下勧告が出されているものであって、いずれも本件山林における霊園開発に対する許認可の可能性を裏付けるものとはいいがたく、他に右主張を具体的に裏付ける証拠はない。

また、弁護人らは、都心の寺院を本件山林に誘致し、寺院墓地として小規模に開発することも可能である旨主張し、被告人も、右主張に沿う供述をするが、寺院墓地にしたとしても、前記法令による規制の多くを受けることになるから、これも、開発可能性の根拠とはなり得ない。

したがって、弁護人らの前記主張はいずれも理由がない。

2 本件山林のその他の問題点

関係各証拠によれば、次の事実が認められる。

(1) 本件山林は、国道一号線に接しておらず、進入路としては、国道から分かれる町道のみであるところ、都市計画法附則四項、五項、同法三三条一項二号、同法施行令附則四条の二、同施行令二五条二号、同法施行規則二〇条によれば、本件融資当時、本件山林のような三〇〇〇平方メートル以上の未線引白地に対する開発行為には、幅九メートル以上の進入路を確保しなければならないとされていた(現在は神奈川県都市計画法に基づく開発行為等の規制に関する細則二条の四により、一〇〇〇平方メートル以上の開発行為が規制対象とされている)。ところが、右町道の幅員は六メートルにも満たないから、新たな進入路を確保することが必要となる。しかも、右町道は箱根町美化事務所というゴミ処理場の前を通るなど、イメージが悪いため、大規模開発を可能にするとともに、イメージを良くして本件山林の価値を高めるためには、国道に面する国土計画株式会社(以下「国土計画」という。)所有地の一部を買収することが必要である。

(2) このような理由から、被告人は、昭和六三年三月、本件山林を担保に、株式会社東方土地(以下「東方土地」という。)から二五億円の融資を受けた際、国土計画所有地を一年以内に買収することを約するとの念書を東方土地に差し入れた。

そこで、被告人は、平成二年五月、国土計画のN管財部長らに会い、国土計画所有地の売却を強く要求したが、Nから断られた。その後、被告人は、交渉の際、国土計画側に差別発言があったとして、自ら又は顧問弁護士であるO弁護士の名をもって、国土計画のP社長に対して、謝罪を要求する内容証明郵便を繰り返して送り付けるなどした。

このように国土計画所有地の買収が事実上不可能になったのに、被告人は、本件融資に先立ちイトマン側に交付した平成二年九月付けの本件霊園開発事業計画書中の「墓地計画図」として、国土計画所有地も事業計画予定地に含むことを前提とする図面を使用した。

(3) 本件山林は、前記箱根町美化事務所に隣接しており、同事務所には、ゴミの焼却場や生ゴミの埋立地があって、悪臭がひどく、イメージも良くない。

また、本件山林は、全域が傾斜のある山林で、そのうち約七割が勾配三〇パーセント以上の斜面であるほか、国道側から利用価値のある高台までの間に深い谷があるなど、霊園開発を実行する場合、利用可能な範囲が限られ、しかも、橋を架けるなど、かなり大規模な造成工事が必要とされる。

以上のとおり、本件山林の開発行為を可能とし、利用価値を高める上で必要とされる国土計画所有地を買収することが不可能となったことに加え、本件山林自体、ゴミ処理場に隣接することに伴う悪臭や良くないイメージがあり、その地形からも、霊園開発を実行する場合、利用範囲が限られ、かなり大規模な造成工事を要するなど、本件山林における霊園開発には、様々な隘路が避けられないものというべきである。

3 第三者による本件山林の評価額

関係各証拠によれば、次の事実が認められる。

(1) 被告人は、昭和六一年三月、本件山林をアルカディア・コーポレーション株式会社に商号変更する前の東京トレーディング株式会社(以下「東京トレーディング」という。)名義により総額約六億円で購入した。

(2) 昭和六三年三月、東方土地が被告人に対し、本件山林に抵当権を設定して二五億円を融資するに先立ち、東方土地から本件山林の調査を依頼されたQは、被告人の説明に基づき、霊園開発の許可が確実に得られ、かつ、国土計画所有地の買収ができるとの前提で、本件山林を総額三二億円と評価したが、これらの前提を欠く場合には、坪当たり四、五千円、総額六、七億円と評価していた。

(3) 平成二年二月、東方土地から本件土地の鑑定を依頼されたR不動産鑑定士は、本件山林について、使用価値や交換価値は全くないが、資産として何十年も長期に保有し、事情の変化が生じて価値が出るかもしれないという期待を込めた資産価値として、同月当時、平方メートル当たり四五〇〇円、総額約二二億円と鑑定していた。しかし、同鑑定士は、捜査段階において、同年一〇月時点では、鑑定後の地価の下降傾向を考慮して、平方メートル当たり三六〇〇円、総額約一七億五〇〇〇万円と評価できると供述している。

(4) 同年一〇月九日、伊藤萬不動産販売東京支店営業担当のSが、E副本部長の指示により、本件山林周辺の不動産業者に電話で本件山林付近の地価を調査したところ、神奈川県足柄下郡湯河原町宮下で不動産業を営む東島商事ことTは、開発許可が下り、建物の建築許可が下り、しかも、進入路が確保されたことを前提として、平方メートル当たり八〇〇〇円前後、総額約三九億円前後と評価できると話していた。

(5) 平成三年七月、神奈川県都市部建築指導課長が、大阪府警察本部の捜査関係事項照会に基づき、本件山林周辺地域の標準価格及び過去の国土利用計画法による届出審査事例から評価した本件山林の価格は、平方メートル当たり二〇〇〇円から五〇〇〇円まで、総額約九億七〇〇〇万円から二四億三〇〇〇万円までの範囲内であった。

(6) 同年八月、御堂筋総合興産株式会社(同年三月に商号変更前の商号伊藤萬不動産販売株式会社。以下「御堂筋総合興産」という。)から本件山林の鑑定を依頼されたU不動産鑑定士は、取引事例比較法により、平方メートル当たり一五〇〇円、総額約七億三〇〇〇万円と鑑定した。

また、同月、東方土地から鑑定を依頼されたV不動産鑑定士は、国土計画所有地の買収を前提として、取引事例比較法により、総額約一七億六六〇〇万円と鑑定した。

4 まとめ

以上の認定事実を総合すると、本件山林の評価額は、開発許可が下り、進入路が確保されるなど、本件山林開発の問題点が解決された場合には、三二億円(平方メートル当たり約六五七七円)ないし約三九億円(平方メートル当たり八〇〇〇円)という評価も考えられるものの、前に認定したとおり、開発許可が下りる可能性はほぼ皆無であり、しかも、国土計画所有地買収による進入路の確保が不可能になったことを前提とすれば、最大限高く評価しても、平方メートル当たり五〇〇〇円、総額二四億円余りにとどまるものと認めるのが相当である。

これに対して、弁護人らは、本件山林を開発価格として評価すれば、坪当たり二万七〇〇〇円、総額三九億五九〇〇万円に達するから、十分担保余力がある旨主張するが、前認定のとおり本件山林の開発の目途も全く立たないのに開発価格なるものを前提とすることが許されないことはいうまでもないから、弁護人らの主張は、その前提を欠いて、失当である。

そして、前に認定したとおり、本件山林には、債権者を東方土地、債権額を二五億円とする先順位の抵当権が設定されており、しかも、後に認定するとおり、本件融資当時、その元金はもちろん、平成二年四月分以降の利息も支払われていなかったのであるから、本件山林には、本件融資当時、担保余力が全くなかったものと認めることができる。

二 被告人の本件融資金の返済能力

関係各証拠によれば、次の事実が認められる。

(1) 被告人は、昭和五九年一一月、東京トレーディングを、昭和六一年一一月には、公認会計士のWと共同出資して、アルカディア株式会社(以下「旧アルカディア」という。)をそれぞれ設立し、昭和六〇年五月、借入金で購入した神奈川県横須賀市秋谷の土地を核として、不動産開発事業を展開し、地価の上昇に伴って生じる保有不動産の担保余力により、随時融資を受けて資金を回すことにより、その事業を拡張していく手法をとっていた。そして、平成二年九月一七日、旧アルカディアを東京トレーディングに吸収合併させた上、アルカディア・コーポレーション株式会社(アルカディア)に商号変更したが、本件融資当時は、沖縄県石垣島、横須賀市秋谷周辺、静岡県富士宮市上井出及び神奈川県足柄下郡箱根町の本件山林の不動産開発案件を手掛けていた。

また、被告人は、昭和六〇年二月、月刊誌「創」を発行する有限会社創出版(以下「創出版」という。)を買収してその代表取締役に就任し、平成二年三月には、月刊誌「ビッグ・エー」を発行する株式会社ビッグ・エー(以下「ビッグ・エー社」という。)を買収して、いずれもその支配下においた。さらに、被告人は、同年一月、旧アルカディア等の持株会社として、株式会社○○事務所を設立した。

(2) しかし、被告人の不動産開発事業は、本件融資までに成就したものはなく、開発事業自体から大きな利益を上げたこともない。また、石垣島のリゾート開発のように頓挫したり、静岡県御殿場での土地買収案件、横須賀市久比里のマンション建設計画、ゴルフ場造成開発のように立ち消えになる案件もあり、本件融資当時手掛けていた案件も、本件霊園開発のように、いずれもその成就が難しい状況にあった。

しかも、被告人が支配下においた創出版は、収支がほぼ均衡しているものの、平成二年四月までに、被告人から二〇〇〇万円近い資金援助を受けており、ビッグ・エー社は、毎月一〇〇〇万円前後の損失が出るため、被告人が継続的に資金援助を続ける必要があった。

(3) こうした背景により、被告人、並びに東京トレーディング、旧アルカディア、アルカディア等のアルカディアグループの資金繰りは苦しく、昭和五九年一月から平成二年一〇月までの累積赤字が約一億円に及び、借入金も増大の一途をたどり、その合計は、平成二年九月末には約一〇六億円にも達した。

しかも、市中金利が上昇し、金融機関による不動産関係の投融資が引き締められた影響により、平成二年一月ころから、アルカディアグループの資金繰りが特に困難になって、借入金に対する金利の支払いが滞るようになった。ちなみに、東方土地に対する金利の支払いも次第に滞って、同年四月分からは支払われず、再三の督促の結果、平成三年四月に平成二年四月分から同年六月分までの金利が支払われたに過ぎない。また、他の借入先については、金利の支払いができずに差し入れた手形が膨らんでいき、平成二年一〇月末現在の支払手形は総額一億六〇〇〇万円余りにも達した。

一方、被告人は、同年八月ころから一〇月ころにかけて、東方土地に対し、「東方土地からの借入をイトマンが肩代りしてくれる。」とか、「イトマンから五〇億円借りる予定だ。」などと弁解していた。

(4) 被告人は、平成二年七月及び八月、石垣島のリゾート開発に関して、暴力団会津小鉄会会長の息子で不動産業の株式会社東亜企画を経営するXから、同年一〇月一八日を期限とする五億円及び返済期限の定めのない三〇億円を無担保で借り受けた。ところが、同年九月中旬ころから、マスコミで、新石垣島空港用地の買い占めにからみ、被告人の経営するファーイーストリゾート株式会社(同年七月末に商号を変更する前の商号「国内リゾート開発株式会社」)の名が上がったため、Xは、会津小鉄会や右融資金の出所に迷惑をかけたとして、同月下旬ころ、被告人に対し、融資金の早期返済を求めた。

(5) 被告人は、イトマンから本件融資として九億九六〇〇万円を受領した後、そのうち五億一一七五万円をXからの借入金に対する返済に充て、三億五〇〇〇万円を、後に認定するように、Bとの面談の仲介をしたYに融資し、その余を被告人やアルカディアの資金繰りに流用した。

また、被告人は、本件融資を受けた当時、本件山林のほか、個人名義で横須賀市秋谷の土地建物及び同市久比里の土地を所有し、アルカディア名義で石垣島字平久保の土地を所有していた。このうち横須賀市秋谷の土地建物は、建物が豪華にすぎ、利用方法が限られるため、本件融資当時での融資限度額が二〇億円程度にとどまり、しかも、昭和六三年一月に借り受けた二〇億円の抵当権が設定されていた。また、同市久比里の土地は、マンション建設計画が挫折した土地で、三億二五〇〇万円の債務の担保とされ、税金の物納用に残されていた土地である。さらに、石垣島字平久保の土地は、簿価が三億五〇〇〇万円の土地であった。

(6) 伊藤萬不動産販売(平成三年三月以降は御堂筋総合興産)のFは、本件融資の利息等の請求書を、平成二年一〇月から毎月アルカディア宛に送付していたが、全く支払われなかったため、平成三年七月ころ、アルカディア宛に電話で催告し、更に、アルカディアが既に期限の利益を喪失したとして、同月二九日付けで元利金及び根抵当権設定登記手続費用の合計一〇億八一九八万円余り全額の支払催告書を内容証明郵便で送付した。

被告人及びアルカディアの顧問弁護士であるO弁護士が、Fからの電話を受け、内容証明郵便を受け取った後、その都度、被告人にその旨報告したところ、被告人は、「きちんと払うから、そのように伝えておいてくれ。」、あるいは、「きちんとするから、取り合えずそのように言っておいてくれ。こちらからも一応内容証明を送っておいてくれ。資金繰りの都合もあるので、具体的なことはそのうち話をしよう。」と指示した。しかし、その後、被告人がO弁護士に対し具体的な指示をしないまま、アルカディアは、同年九月五日及び同月一〇日に相次いで不渡り手形を出して倒産し、被告人は、同月九日、本件特別背任事件により逮捕された。

なお、被告人は、本件融資の利息等を全く支払わなかった点について、イトマンのため、マスコミ対策、住友銀行対策等として活動したり、自らの資金を出捐したため、利息は支払わなくてよいと考えていた旨供述する。しかし、後に判示するとおり、被告人のこうした一連の活動は、イトマンのためというより、A及びBの地位を保全し、かつ、右両名との関係を緊密化するためになされたものというべきである。しかも、被告人は、この件に関して顧問弁護士と連絡を取り合っていたにもかかわらず、アルカディアの利息等の債務を消滅させるべきいかなる法律行為も行っていないばかりか、利息の請求を受けた際、顧問弁護士に対し、「きちんと支払うから、そのように伝えておいてくれ。」と指示して、支払義務のあることを認めていたのであるから、被告人の右供述は、採用しない。

そして、以上認定事実からすると、被告人の不動産開発事業は、事業自体から上がる収益ではなく、地価の上昇に伴って生じる保有不動産の担保余力により、随時融資を受け資金を回して拡張してきたが、金利の上昇、不動産関連融資の規則等の影響により行き詰まり、平成二年一月以降は、資金繰りが逼迫して、借入金の金利の支払いも非常に困難な状況となり、東方土地等の借入先、特にXから融資金の早期返済を要求されて、その返済等の資金繰りに充てるため、イトマンから本件融資を受けたものの、その利息等も全く支払えないまま、被告人が本件で逮捕されるより前に倒産したものである。しかも、本件融資当時、被告人及びアルカディアグループの借入金の総額は約一〇六億円にも達しており、債権の回収に使える被告人及びアルカディアの資産も限られていたため、一般財産からの回収も見込めない状況であった。したがって、本件融資当時、被告人には、本件融資金の返済能力がなかったものと認めるのが相当である。

これに対し、弁護人らは、被告人がBから売却の仲介を依頼されたイトマン保有の不動産の仲介手数料等により、本件融資金の返済は十分可能であった旨主張し、被告人は、公判段階において、Bから、イトマンの保有する東京吉祥寺のイトマンファッションビルや兵庫県西宮市苦楽園の土地についての専任媒介権を与えられたため、その買い主を探して売却し、その利益により本件融資金を返済する予定であったが、Bがイトマンを退任するなど、イトマン側の事情により専任媒介権が反古にされたため、返済できなくなった旨供述している。しかし、B(第二回)、D及びEの各公判証言並びにB及びY(二二二)の各検察官調書に照らすと、専任媒介権を得たとの供述部分は事実に反するものというべきである。しかも、Yの右調書によれば、被告人が関与したイトマン保有不動産の売却話は、いずれも打診段階にとどまっていたことが認められるところ、前認定事実のとおり、本件融資当時は、高金利、不動産関連融資の総量規制の影響等により、不動産の販売が困難な状態にあり、本件融資後も、右各物件が売却された形跡のないことも考慮すると、被告人がイトマン保有不動産の売却仲介に成功する可能性は乏しかったと認められる。そのうえ、被告人が売却仲介に成功したとしても、売却金額も、仲介に関与する者の数やその果たす役割も不明であるから、被告人の取得できる仲介手数料等の額も全く未定であって、その仲介手数料等から本件融資金を返済できる可能性も極めて乏しかったものというべきである。したがって、弁護人らの右主張は理由がない。

また、弁護人らは、被告人の所有する横須賀市秋谷の土地建物は総体として約八五億円の価値があり、その担保力によって返済することは可能であった旨主張し、被告人の検察官調書(二五二、二五八)中には、右主張に沿う部分があるが、Zの検察官調書(二一四)によれば、同土地上の建物が豪華にすぎ(被告人の公判供述によれば、建設総工費だけで約二六億円)、利用方法が限られるため、本件融資当時での融資限度額が二〇億円程度にとどまることが認められる。しかも、前認定のとおり、既に二〇億円の抵当権が設定されていることに加え、前に認定した、本件融資当時の被告人の事業、借入金、資金繰り、他の保有資産等の状況も併せ考慮すると、被告人がその一般財産から本件融資金を返済することも、事実上不可能であったというべきであり、弁護人らの右主張も採用しない。

三 まとめ

以上判示したとおり、本件融資に際し、本件山林には担保余力がなく、被告人自身にも本件融資金の返済能力がなかったのであるから、本件融資を実行した結果、イトマンに対し、大阪府民信用組合から借り入れた九億九六〇〇万円の現金の代わりに、回収することが著しく困難なアルカディアに対する同額の債権を取得させたと認められる。したがって、イトマンに同金額相当の財産上の損害を生じさせたことは明らかである。

これに対し、弁護人らは、被告人の資産状態等に照らせば、被告人に対し強制捜査が行われた時点では財産上の実害が生じておらず、強制捜査により経営状態が悪化したものであり、財産上の損害は生じていない旨主張するが、前項で認定した事実関係に照らせば、弁護人らの右主張が失当であることも明らかというべきである。

第三  故意について

一 任務違背の認識・認容

A及びBは、前に認定したとおり、前認定の各任務違背行為をいずれも自ら実行したのであるから、それぞれその各任務違背について十分に認識かつ認容していたことが認められる。

二 財産上の損害の認識・認容

A及びBは、前認定のとおり、本件山林の担保価値を十分検討することなく、被告人及びアルカディアには本件融資金の返済能力があるとも考えないで、しかも、本件融資金が被告人の資金繰りに流用されることを知りながら、本件融資を決定し実行したのであるから、イトマンの財産上の損害についても、少なくとも未必的には認識しかつ認容していたものと認められる。

これに対し、Aは、その検察官調書(二四二)において、本件融資金の回収方法について、JR京都駅北側の土地の地上げの件で、被告人から、いくらかの金が入るはずであるし、被告人が箱根の墓地を販売しきれないときは、イトマンが引き取って販売し、その販売代金の中から回収することも考えており、そのため、平成二年一一月下旬か一二月ころ、東山浄苑事業の販売責任者であったGにその準備を指示し、その際、aも立ち会っていたかもしれない旨供述している。しかし、AがJR京都駅北側の地上げ事業の内容を検討したことのないことは、A自身、その検察官調書(二四四)の中で認めている。また、本件霊園開発の事業の成否、採算性の有無について十分な調査検討をしていないことは、前に認定したとおりである。さらに、AがGに本件霊園事業の墓地販売の準備を指示したことは、G及びaが各検察官調書(一四七、一七四)で明確に否定している。したがって、Aの前記供述は、何らの裏付けも欠くものであり、採用しない。

また、Bは、その公判証言において、本件融資金は、被告人に売却の仲介を依頼した不動産の仲介手数料から、あるいは、被告人の所有する横須賀市秋谷の土地建物から回収が可能であると考えた旨供述するが、前に認定したように、本件融資当時、高金利時代を迎え、金融機関による不動産関連融資の総量規制が行われた影響などにより、不動産の販売が困難な状況にあったこと、被告人が資金繰りに窮しており、本件融資金も自らの資金繰りに流用せざるを得なかったこと、そして、Bは、これらの事情を十分承知していたことに加えて、横須賀市秋谷の土地建物には、ほぼ融資限度額一杯まで抵当権が設定されていたことに照らすと、Bの右公判証言は、信用できず採用しない。

三 結論

よって、A及びBには、自らの任務違背及びイトマンに加えるべき財産上の損害について少なくとも未必的に認識しかつ認容していたものと認められるから、いずれも特別背任罪について故意があったものと認めるのが相当である。

第四  図利加害目的について

一 本件融資を行った動機

1 一連のイトマン事件の背景事情

(一) Bが関与する前の状況

関係各証拠によれば、次の事実が認められる。

(1) 昭和五〇年一二月、Aがイトマンの代表取締役社長に就任した当時、イトマンは、約五〇〇億円の繊維在庫と約一五〇億円の含み損を抱えて、経営危機に陥っていたが、Aは、在庫の圧縮、人件費の削減、労使関係の改善のほか、増収増益を図るため、業績ノルマを課するなどして社員に発破をかけ、昭和五二年九月期には債務超過を解消し、昭和五三年九月期には復配するまで業績を回復させ、昭和五七年には本社ビルを買い戻すなどして、イトマン再建を果たした。そのため、イトマン社内では、Aは、「イトマン中興の祖」としてカリスマ的存在となり、これに反抗するものは、子会社等に飛ばされたり、退社させられるなどした結果、A批判はタブーとされるようになっていった。

(2) Aは、昭和五二年ころから、自らの出身銀行であり、しかも、イトマンのメインバンクでもある住友銀行の影響力を弱めるため、経理担当者に対し、住友銀行からの借入金を減らすように指示したり、昭和五三年ころからは、住友銀行への情報提供も規制するようになった。しかし、イトマンは、その後も、住友銀行の依頼に応じて、倒産した安宅産業株式会社の繊維部門や、経営が破綻したワンルームマンション業者の杉山商事株式会社(以下「杉山商事」という。)などの会社の事後処理を引き受けざるを得ない関係が続き、更に、昭和六〇年ころからは、住友銀行から、借入を増やせなどと様々な要求が出てきたことから、Aは、住友銀行が、Aに変えて社長をイトマンに送り込み、イトマンを住友銀行の調整面的な会社にしようとしているものと考えて、自らの地位の保持に危機感を抱くようになった。

特に、Aは、昭和五七年ころ、住友銀行出身の役員が、また、昭和六二年には、住友銀行首脳とイトマン役員が組んでA退陣を策謀したものと疑い、その役員を社外に出すとともに、同年一二月には、イトマン生え抜きのb、D、Iの三人を次期社長の含みで副社長に採用するとともに、住友銀行やイトマン創業者である伊藤一族の影響力を排除するため、昭和六三年秋には自らイトマン株を四八万五〇〇〇株(発行済株式総数の約0.35パーセント)取得した。

(3) Aは、このように、次第に社長退陣を求める動きに対して神経質になって、自己の地位を保全するためには、経営責任を問われないように、イトマンの増収増益を続けなければならないと考えるようになった。ところが、イトマンは、昭和五八年ころ、プリント販売業者による融通手形操作に騙されて、五、六〇億円の損失を被り、昭和六〇年四月ころには、Aの甥に当たるイトマン燃料部長が参加した石油の業者間転売が破綻して、約一〇〇億円請求されたこと(以下「石油業転事件」という。)などにより、昭和六〇年九月期決算は赤字が必至の情勢となった。

当時、イトマンでは、東京南青山に本社ビル用地を取得するため、子会社のイトマンファイナンス株式会社(以下「イトマンファイナンス」という。)を介して、名古屋の不動産業者である株式会社慶屋(以下「慶屋」という。)に多額の融資をしていたが、昭和六〇年九月期の決算内容を粉飾するため、Aの指示により、南青山の土地を利用して、同土地を慶屋に売却した形にして受け取ってもいない多額の仲介手数料を利益として計上したり、慶屋から融資金に対する多額の利息及び遅延損害金の支払いがないのにあったもののように計上するなどして、ようやく赤字決算を免れた。

(4) イトマンでは、その後も、繊維や食品等の物流部門の売上が伸び悩み、しかも、前記損失に加え、子会社である大日本コンピューターシステム株式会社関連で約一〇〇億円、オモチャ販売業者関係で約一〇〇億円などの損失を被ったほか、地上げが難行していた東京南青山の土地、杉山商事の在庫など、固定化した不動産資産を多数抱えて、苦しい経営状態が続いた。

Aは、これらの損失や金利の負担をカバーし、増収増益の体裁を調えるため、慶屋の例のように、決算期末にイトマンファイナンスの貸付先から、企画料や手数料を徴収する方法を採用していたが、更にまとまった企画料を確保するため、不動産関連事業に目を付けて、不動産業者である大平産業株式会社、大和地所株式会社等に多額の融資をしては、事業が完成する前に多額の企画料等を徴収するようになった。しかし、このような方法は、企画料等として徴収する金額の妥当性及び収益として計上する時期の妥当性に関し、会計処理上、大きな問題を孕んでいた。

(5) また、Aは、昭和六二年から、転換社債、新株引受権付き社債(ワラント債)などの株式発行を伴う資金調達(エクイティ・ファイナンス)を大規模に行うことにしたが、これは、銀行からの借入を減らして、低コストで資金を調達することのほか、発行済株式総数を増やすことにより、住友銀行や創業者の伊藤一族の影響力の低下を狙うものであった。しかし、平成元年九月には、エクイティ・ファイナンスの発行残高が五〇〇億円余りにも達し、その発行を続けるには、イトマンの業績を更に引き上げる必要があった。

ところが、イトマンの物流部門から上がる利益は限られており、しかも、イトマンファイナンスを使い、銀行からの借入金利と融資先への貸出金利との利鞘を稼ぐファイナンス事業(商社金融)も、平成元年五月以降の公定歩合の急激かつ大幅な上昇のため、拡大が望めなくなった。

以上のとおり、Aは、イトマンの再建に貢献したとして、社内においてカリスマ的地位を取得した後、敵対する役員等を次々と社外に出すなどして、社内における社長の地位を確立したが、イトマンのメインバンクでありAの出身銀行でもある住友銀行によって、社長の地位を追われるのではないかとの危機感を抱き、住友銀行のイトマンに対する影響力を弱めるため、住友銀行からの借入金を極力減らし、情報規制をし、エクイティ・ファイナンスを大規模に行い、自らイトマンの株式を大量に入手するなどしたが、更に、住友銀行から経営責任を問われないため、イトマンの増収増益を最優先課題として、粉飾決算をしたり、事業資金の融資先から事業完成前に多額の企画料等を徴収するなど、会計処理上問題を孕んだ方法も厭わずに採用するなどして、自らの地位の保全のためには手段を選ばない姿勢を採るようになっていったものである。

(二) B入社に至る経緯

関係各証拠によれば、次の事実が認められる。

(1) Bは、大阪府民信用組合c代表理事の依頼で始めた雅叙園観光の乱発手形の整理について、同組合からの資金が出なくなり、自己資金でその整理を行う必要が生じたほか、協和綜合開発グループの借入金も総額で約一八〇〇億円に及び、金利負担も重くなって、その資金繰りに困り、平成元年六月ころから、住友銀行栄町支店長の紹介により、結婚式場平安閣グループの総帥という触れ込みで、イトマンのd名古屋支店長に、各種の不動産開発案件を持ち込み、多額の融資を要請するようになった。

(2) 一方、Aは、前認定のような状況下で、イトマン社長の地位を確保するためには、あくまで増収増益を続けていく必要があるものと考え、イトマンを、従来のファイナンス事業中心から新規事業としての不動産関連の開発事業中心に転換することをもくろんでいたところ、Bの持ち込んだ開発案件の数が多く、規模も大きかったため、多額の融資をして、それに見合った企画料等を徴収することにより、まとまった利益を出すのに便利であると考えた。

そこで、Aは、Bと初対面の同年八月三日には、雅叙園観光や各種不動産開発案件の採算性を十分に検討することもなく、Bに対する資金提供を申し出たほか、同年一〇月中旬ころまでには、B側から、各種案件の採算性、資金計画等の説明も十分受けないまま、開発の目途も立っていない案件や、協和綜合開発に持ち込まれただけの案件も含めて、すべての案件について資金を出し、イトマンとの共同事業にするとの結論を出すに至った。しかも、Aは、協和綜合開発への融資金の使途を制限することなく、Bの資金繰りに使われることを黙認していたほか、Bに対し、融資金の一部を企画料としてイトマンに戻すことにより、イトマンの利益出しに協力することを求めた。

これに対し、Bは、イトマンからの融資が、資金繰りに窮していた協和綜合開発にとって大いに助かるだけでなく、手持ちの各種案件をイトマンとの共同事業とすることによって、各案件に関するB側の権利を確保して、自らの経営手腕を発揮することができることから、Aからの申し出をすべて了承した。そして、同年九月に一六四億円、同年一〇月に二二〇億円、同年一一月に四六五億円など、イトマンから協和綜合開発に対する多額の融資が次々に実行され、その一部が企画料等としてイトマンに還流された。

(3) 他方、住友銀行のe会長は、Aが東京南青山における本社ビル用地の地上げに失敗したことを理由に、平成元年一〇月ころ、Aに対し退任を勧告するとともに、住友銀行の副頭取をイトマンに送り込むことを提案したが、Aは、これを断る一方、財務担当のD副社長に対して、より一層の住友銀行離れを指示した。

さらに、Aは、Bをイトマンに入社させることにより、Bが有する総額二〇〇〇億円近い数多くの各種案件をすべて取り込み、見せ掛けとはいえ、イトマンの増収増益を確実なものにするとともに、Bの地上げや不動産開発に関する専門家としての力量を東京南青山の地上げ等にも活用しようと図り、社長室、企画業務本部等担当のb副社長らの反対を押し切り、同年一一月、b副社長に、Bを迎え入れる受け皿作りを指示し、同年一二月初めには、翌年二月に企画監理本部を設置することを公表して、その目的について、都市開発、リゾート開発、住宅開発等の不動産開発の企画・設計・調査の専門高度技術者集団による集中監理、事業開始の認可等にあると発表した。

(4) 平成元年一二月下旬ころ、Aは、Bに対して、協和綜合開発グループに総額で約二〇〇〇億円の融資をする代わりに、その一割に当たる約二〇〇億円を企画料等としてイトマンに還流させ、イトマンの利益出しに協力すること、平成二年三月期はそのうち約一〇〇億円を還流させるが、それに利用すべき案件の選定を急ぐこと、企画監理本部では、年間二〇〇億円の利益を出すこと、Bがイトマンに持ち込んだ案件以外に、企画料等を上乗せすることのできる業者や案件も選定することを指示し、Bも、これを了承した。

そして、平成二年一月ころ、同年三月期決算において、イトマンの利益が公表した金額よりも約一〇〇億円不足する見通しとなったため、同年一月二九日ころ、Aは、B、D副社長及びd支店長に対し、協和綜合開発グループから企画料、融資斡旋手数料、委託斡旋手数料等の名目で総額約一〇〇億円を還流させ、イトマングループの利益として計上することを指示し、その後、その指示に従い利益計上が実行された。

以上のとおり、Aは、イトマンの社長の地位保全のため、不動産関連事業を使って、企画料等の名目で見せ掛けの利益を確保しようとしていたところに、各種の不動産開発案件等を手掛けていたBと出会った。Bも資金繰りに困っており、イトマンからの融資を求めたことから、両者の利害が一致し、AとBは、Bの手持ちの各種案件をイトマンとの共同事業化することにより、Bを資金的に援助する代わりに、Bがイトマンの利益出しに協力することとし、イトマンからB側への巨額の融資が次々と行われ、その一部が企画料等としてイトマンに還流された。ところが、Aは、住友銀行のe会長から退任を勧告されたことから、危機感を強め、B手持ちの各種案件をすべて取り込むことによって、見せ掛けとはいえ、イトマンの増収増益を確実なものにするとともに、懸案の地上げ等にもBの力量を活用しようとして、Bの了解を得た上、受け皿として企画監理本部を設置し、その本部長として、Bを迎え入れることにしたものである。

(三) B入社後の状況

関係各証拠によれば、次の事実が認められる。

(1) 平成二年二月一日、イトマンにおいて、社長室直轄組織としての企画監理本部が発足し、同日付けで理事として入社したBが本部長に、また、一級建築士のfがBの誘いにより副本部長に就任した。企画監理本部では、主として、Bがイトマンに持ち込んだ絵画取引を含む各種案件のほか、イトマンが行う不動産関連の主要案件を手掛けることになった。

Aは、Bがダーティな面を含めて難件を片付けてくれるものと期待し、Bに対し、企画監理本部の手掛ける各種案件について全権を委任したことにより、社内では、両者は一体とみなされて、誰も逆らうことのできない体制になっていった。

(2) すなわち、企画監理本部担当のb副社長の依頼により、住友銀行出身で与信審査経験のあるg専務取締役が、同本部の与信案件の審査を担当することになったが、同年四月一日には、Bのクレームにより、実質審査に全く関与しないまま担当を外された。また、同月一〇日には、同本部の扱う不動産関連案件の貸付・与信限度設定に関する決裁制度が変更されて、同本部内の決裁のほか、社長であるA並びにb、D及びI各副社長による決裁で足りることとされ、住友銀行出身のh及びg両専務取締役が決裁者から外された。しかも、同本部担当のb副社長は、審査の経験がなく、同本部の業務内容を十分につかんでいなかったため、実質的審査は、いずれも住友銀行出身で審査担当副本部長のi及び財務担当副本部長のj両常務取締役だけが行うことになった。

ところが、企画監理本部の取り扱う案件は、金額が大きいのに、資料や説明が杜撰で、しかも、AとBとの間で結論が決まり、先に申請者であるBが決裁した上、決裁に回すことから、これに異を唱えることが非常に困難となり、形式的審査にとどまらざるを得なくなった。そのうえ、同年五月中旬ころ開かれた資金検討会で、i常務が審査案件の問題を指摘したところ、その後、資金検討会が開かれなくなり、同年六月上旬には、Bの指示によって、i及びj両常務が企画監理本部の会議に出席できなくなり、更に、同月中旬ころ、i常務が、Bとf副本部長が決裁した案件に減額修正の意見を付けたところ、Bから文句を言われ、Aからは出向を示唆された上、同年七月上旬、j常務とともに、b副社長から、同年九月末の常務取締役の退任を申し渡された。

(3) Aは、Bと知り合った後、不動産関連の投融資額を一気に拡大していった。これに伴い、イトマンの借入金は、平成二年一月に約八四〇〇億円であったのが、同年四月末には一兆円を突破し、同年七月には一兆一二〇〇億円余りに増大したが、そのほとんどは、Bの持ち込んだ不動産開発案件に代表される不動産投融資が膨張したところによるものであった。

ところが、公定歩合の相次ぐ引上げにより、同年三月二〇日以降公定歩合5.25パーセントという高金利時代に入り(同年八月三〇日からは六パーセント)、しかも、大蔵省銀行局長が金融機関に対して、平成元年一〇月下旬ころ、土地関連融資の厳正化を求める通達を、更に、平成二年三月下旬ころ、不動産関連融資の総量規制を求める通達を出したことにより、同年春先ころから、不動産の販売が困難な状況が生じており、こうした状況下でのイトマンにおける不動産関連投融資の顕著な拡大は、極めて異常な現象であった。

(4) Aは、平成二年二月下旬ころ、Bに対し、住友銀行に対抗するため、協和綜合開発名義によりイトマン株を三〇〇万株(発行済株式総数の約1.7パーセント)買うよう依頼した。

一方、住友銀行k頭取は、イトマンに入社したBが1や暴力団山口組系宅見組と関係があるとの情報を入手したため、e会長の指示に基づき、同年三月二二日ころ、Aに会って、Bを退社させるよう勧告するとともに、これに応じない場合には、融資を打ち切ると警告したが、Aは、これを拒否した。そのため、住友銀行は、同月末の手形決済のための約三〇〇億円の融資を最後に、イトマンに対する新規融資を中断した。

さらに、同年六月ころ、Aは、e会長から退任を求められ、k頭取からも、再度Bの退社を求められたが、いずれも拒否し、Bを、同年五月一日、イトマンの子会社である伊藤萬不動産販売の代表取締役社長に、同年六月二八日には、イトマンの筆頭常務取締役に就任させた。

(5) 同年五月二四日及び二五日、日本経済新聞が、イトマンが不動産投融資に過度に傾斜しているとの記事を掲載したところ、Aは、住友銀行がA退陣を促すため情報を流したものと疑い、イトマン社内で情報を漏らした犯人探しを始めて、住友銀行出身のh及びg両専務、i及びj両常務らの名が上がった。

前記のとおり、同年六月ころ、Aは、住友銀行のe会長から、社長退陣を求められたことから、住友銀行の副頭取がイトマンに乗り込んでくるとして、社長の椅子に対する危機感を一層あらわにし、同月末ころ、前記住友銀行出身の役員四人を社内の重要会議の出席メンバーから外し、同年七月上旬、b副社長に指示して、これらの者を同年一〇月一日付けで解任する旨伝達させた。

(6) 同年九月時点において、イトマンでは、返済期限が一、二週間という極めて短期間のスポット資金の借入残高が合計約四八二六億円、最長三か月のコマーシャル・ペーパーの発行残高が約一五九〇億円に及び、このような短期借入資金を長期化するおそれの高い不動産投融資に充てていたため、資金調達が極めて切迫した状況になっていった。また、B関連案件については、イトマンから、総額約三〇〇〇億円もの融資が行われたが、そのうち約二一〇〇億円が回収不能か回収が著しく困難なものであった。

しかも、そのころから、不動産関連の過剰融資を原因とする金利負担の増大や融資金の固定化によるイトマンの信用不安や経営不安の増大がマスコミで書き立てられ、イトマン振出の手形が金融業者に出回っているなどと報道されたことから、イトマンは、住友銀行以外の金融機関から貸付金の返済を迫られるようになり、外国銀行からは特に強い請求を受けて、従来にも増して資金が逼迫し、住友銀行からの資金援助を受けない限り、いつ倒産してもおかしくない状態に陥り、同年八月約三〇〇億円、同年九月約五三〇億円、同年一〇月約四一六億円などと多額の融資を受けた。

(7) イトマンでは、同年九月、Aの指示により、対外的に、不動産関連投融資を三五〇〇億円圧縮し、不動産案件に対する新規の投融資を止め、融資金を回収する方針を打ち出すことにし、同月一四日ころ、Aがk頭取に、不動産関連債務の圧縮計画を説明したが、その際、k頭取が、Aに、再度、Bの退社を求めるとともに、圧縮計画が実現しない場合には、Aの退任問題に発展すると警告した。

ところが、イトマンでは、同年九月期中間決算においても、B関連のゴルフ場開発案件を使って一〇〇億円余りの企画料等を捻出し、イトマンの利益として計上した。また、同年一〇月一日には、住友銀行出身のh専務、g専務、i常務、j常務を辞任させた。

(8) 同年一〇月初めころから、イトマンへの貸付金の引上げを図ろうとする金融機関の動きが激しくなり、イトマンの信用不安が現実化したが、Aは、「銀行から融資を受ける際に差し入れたイトマン振出の手形は、期限が来ても放っておけ。」とか、「コマーシャル・ペーパーによる借入も返さなくてよい。」などと、なりふり構わぬ資金繰りを指示した。しかし、イトマンの資金繰りはダッチロール状況になって、倒産の危機に陥り、同年一一月には、街金融から融資を受けて、手形詐取事件にも発展した。

同年一〇月下旬及び同年一一月上旬に、k頭取がAにイトマン経営陣の刷新を求めたが、Aは頑なにこれを拒否し、同年一二月には、k頭取がAの責任を追及したが、Aは、責任回避の姿勢に終始した。同年二六日ころ、Aがk頭取にイトマンの債務圧縮計画を示したが、到底実現不可能な計画であったため、k頭取は、再度経営陣の刷新を求めた。そのころになって、1グループによるイトマン株の買占めが明らかになった。平成三年一月二一日ころ、再度、k頭取がAに退陣を要求したが聞き入れられないまま、同月二五日、Aがイトマンの取締役会で代表取締役を解任された。

なお、同月までに、住友銀行は、総額約三〇〇〇億円のイトマンの債務を肩代わりした。

以上のとおり、Aは、Bを企画監理本部長としてイトマンに入社させた後、高金利で不動産関連投融資が厳しく規制される中、Bに、不動産関連の各種案件について全権を与えるとともに、社内での実質的審査が事実上できない体制を組みつつ、不動産関連の投融資を飛躍的に拡大させた。これに対し、住友銀行首脳は、Bの暴力団等との関連を理由とするBの退社や、更にはAの退任を繰り返して求めたが、Aはいずれも拒否し、イトマン問題がマスコミで報道されるや、住友銀行出身役員の仕業として、その実権を奪い辞任させた。また、イトマンでは、資金調達が次第に苦しくなっていたが、平成二年九月ころからは、信用不安や経営不安がマスコミで報道されるなどして、各金融機関から貸付金の返済が迫られるようになった。そして、本件融資が問題となった平成二年一〇月初めには、イトマンは、対外的には、不動産関連投融資の大幅圧縮を約束し、社内的には、資金繰りに逼迫して、住友銀行からの財政支援を受けない限り、いつ倒産してもおかしくない状態に陥ったが、その後も、Aは住友銀行からの経営陣の刷新要求や退任要求を頑なに拒否し、その地位にしがみついていたものである。

2 本件融資に至る経緯

(一) 被告人とAとの会食までの状況

関係各証拠によれば、次の事実が認められる。

(1) イトマンは、昭和六〇年ころ、石油業転事件、昭和六二年秋から昭和六三年前半にかけて、慶屋との対立問題、居酒屋チェーン「つぼ八」の経営権問題などでマスコミに取り上げられたが、Aは、マスコミで、イトマンやA個人が報道されることに神経質であり、いわゆる裏情報(ブラック情報)を掲載する雑誌(ブラックジャーナル。以下「裏情報誌」という。)の記事も気にしていた。

昭和六年八月ころ、月刊誌「創」に、「マスコミが報道しない『平相疑惑』の深層―『平相疑惑』最後に得をしたのは誰か」との表題の記事が掲載された際、Aは、広報担当のb副社長(当時は専務取締役)からその記事を見せられ、○○が発行する政治経済のブラック記事を掲載する月刊誌」との説明を受けて、bにうまく対応するように指示した。

昭和六三年初めころ、Aは、イトマンの裏情報誌対策が不十分であるとして、b副社長に広報の強化を指示するとともに、裏情報誌の事情に通じているとされる原田不動産株式会社社長のmと親しいイトマン取締役のaに、裏情報誌対策を指示し、同年八月一日付けで、aを東京駐在の広報部長に任命した。

(2) 昭和六三年七月上旬、月刊誌「創」同年八月号に、「新会長を迎えたNHKの『前途多難』―会長人事を仕掛けたeの裏の顔」との表題で、イトマンでのA解任の動き及び住友銀行のe会長と当時の頭取との確執に関する記事が掲載され、同年七月二〇日ころ、「創」関係者がイトマンを訪れて、翌月発売予定の九月号において、平和相互銀行合併当時の内幕を掘り下げて特集し、イトマンについても記事にすると通告した。

aがmに「創」について聞くと、mは、「『創』は○○がやっている。○○はうるさい男で、気を付けないといかん。他のブラックと違って得体が分からん。こいつはたかり屋で、非常に高くつく。nさんに相談してみろ。」と言って、国会タイムスを発行するnに会うように勧めた。そこで、aは、nに会って相談した後、同月下旬ころ、nの紹介で被告人に会い、イトマン攻撃を止めるように依頼したところ、被告人は、「九月号はもう止まらないが、これからは考えてもよい。他にもいろいろ情報はある。」などと答えた。

(3) 同年八月上旬、「創」同年九月号に、「告発レポート伊藤萬・A商法の疑惑をえぐる」との表題の記事が掲載されて、A商法を「乗っ取り屋」、「ダボハゼ商法」と酷評するなど、Aを集中的に攻撃する内容であった。そのため、Aは、aに、裏情報誌対策の強化を指示した。

そこで、aが被告人に会ったところ、被告人は「わしには事業を作り出す力はあるが、信用がない。イトマンは信用がある。自分も、信用を付ければ、事業家として大きくなることができる。イトマンと一緒に仕事がしたい。そうすれば、イトマンも利益が大きくなる。そのために、A社長に会わしてくれ。その機会を作ってくれ。どこへでも行く。」などとAとの面談を要求し、aは、被告人が自分の事業への融資を要求しているものと理解した。

被告人は、その後もaを数回呼び出し、被告人の手掛ける開発案件について説明して、Aとの面談を要求し、aがこれに応じないと、「どんな上からの圧力にも屈しない。今まで圧力によって記事を差し止めたことはない。」などと言い、aは、被告人が暗にイトマンやAに対する中傷記事の掲載を匂わせているものと感じた。

aがnに相談したところ、nから、Aが自ら被告人に会わざるを得ないと忠告を受けたため、aは、渋るAにそれまでの経緯を説明して説き伏せ、m及びnの立ち会いの下、Aが被告人に会うことになった。

(4) 同年一〇月二六日、A及びaと被告人、m及びnが東京のホテルで会食したが、その際、被告人は、Aに対して、イトマンが杉山商事の処理を引き受けたこと、慶屋との対立問題、つぼ八の経営権の問題、石油業転事件等について、Aのやり方を立て続けに批判した。Aがこれに答え、mがAを庇うといった会話が続いた後、被告人が、「イトマンと一緒に事業をやっていこうと思っている。いろんな材料を持っているから、検討してもらえないか。」と言ったところ、Aは、被告人を怒らせるのは得策でないと考えて、「良い案件があったら、協力させてもらいます。ビジネスライクにやっていきましょう。」と答え、mも、「何かあったら、A社長に話したらいい。」と口添えし、最後に、Aが、被告人に、「あまりマスコミでたたかんといてください。」と言って別れた。

以上のとおり、Aは、マスコミの報道や裏情報誌の記事に神経質であったが、b副社長やa広報部長から、「創」は被告人の発行する裏情報誌であり、被告人は裏情報誌を使って金を要求する「たかり屋」であるとの報告を受けていた。「創」昭和六三年九月号にA商法を酷評する記事が掲載された後、被告人から、広報部長のaを介して、事業資金名目の融資と面談を要求され、被告人が、暗にAらに対する中傷記事の掲載を匂わせたとの報告を受けたため、Aは、被告人に会うことにした。ところが、被告人は、Aらとの会食の際、Aに向かって、その商法の批判を展開した末、事業資金名目の融資を求めた。Aは、被告人を怒らせるのは得策でないと考え、「よい案件があったら、協力させてもらいます。ビジネスライクにやっていきましょう。」と答えたものである。そして、Aの被告人に対する右のような返答は、Aが一貫して供述するとおり、恐持ての態度を取る被告人に対し、その場限りの外交辞令を述べたにすぎず、何ごとをも約束するものではないと認められ、しかも、そのことは、会食に至る経緯、会食の際の被告人及びAの言動並びにその場の雰囲気、Aの右返答の内容等から、右会食の出席者全員が容易に知り得たものというべきである。

これに対し、被告人は、Aとの会談を被告人から要請したことはなく、nを介するイトマン側からの依頼に応じたに過ぎず、Aの右返答により、被告人への資金援助を約束したと理解した旨捜査段階から一貫して供述する。しかしながら、会食に至る経緯に関する部分は、nの公判証言、Aの公判証言(第一回)及び検察官調書(二四三)、aの公判証言及び検察官調書(一四六、一四七)並びにbの検察官調書(一七七)に反するだけでなく、イトマンの社長であるAが、被告人側からの要請もなく、自ら被告人に面談しなければならない必要性を窺わせる事情も認められないから採用しない。また、Aが資金援助を約束したと理解したとする部分も、前判示のとおり、経験則に反するものであって採用しない。

さらに、Bの公判証言(第一回)及び検察官調書(二四七)中には、Aが融資を約束したとA及びaが認めていたとする部分があるが、前認定の事実関係及び前掲各証拠に照らすと、A及びaは、被告人を敵に回すのを恐れて、Aが被告人に融資を約束したと付け込まれるおそれのある言葉を述べたとの思いがあり、それが、Bに対する説明に現われたものと理解することができるから、右供述部分は、前示認定に抵触するものとはいえない。

(二) 被告人とBとの出会いまでの状況

関係各証拠によれば、次の事実が認められる。

(1) 昭和六三年一一月下旬ころ、被告人は、aを呼び、本件山林における霊園開発の資料を示してその検討を依頼した。aは、資料を持ち帰り、Aに打診した後、Aの指示に従って、同年一二月ころ、被告人に対し、融資を断るとともに、会食における被告人の態度に文句を言って、しばらくAに取り次ぐのは無理と伝えた。また、平成元年二月には、被告人がnにAへの口添えを頼んだが、nから断られた。被告人は、その後も、aに対し、土地売買の話や石油輸入権獲得の話を持ち込んでは検討を求めたが、aは、Aに取り次ぐことなく握り潰していた。

(2) 平成二年一月ころ、aが、被告人からの石垣島のリゾート開発に関する五〇億円の融資話を断ると、被告人は、再度Aに会わせるように強く要求した。そこで、同年二月上旬ころ、aがAにその旨を取り次ぐと、Aは、企画監理本部長になったBに相談するよう指示し、Bにも、被告人について「東京でブラックジャーナルを発行している男で、前に、慶屋やつぼ八の件などで、こいつにたたかれて、えらい目に遭った。敵に回したら、うるさい。aを窓口に交渉させている。いろいろな案件を持ってくる。」と説明し、aをフォローするよう指示した。

そこで、aは、Bに資料を手渡して検討を依頼し、同月下旬ころ、Bの意見に従って、融資できない旨返答した。被告人は、石垣島の乱開発がマスコミで取り上げられていた時期であったため、その場は引き下がったが、その後も、aに、絨毯の輸入や外国企業の買収の話を持ち込んでは、その都度、Aとの面談を求めた。

また、同年三月ころ、Aは、Bに対し、被告人に融資を約束したと付け込まれるおそれのある言葉を述べてしまったこと、被告人を敵に回すと、何を書くか分からないのでやむを得なかったことを説明した上、被告人が持ち込む案件で適当なものを見計って、被告人との関係をうまく処理するように指示した。Bは、Aの指示について、適当な案件に融資する名目で、イトマンが被告人に金を出すことにより、被告人がイトマンやAの不利になる記事を雑誌に掲載しないようにすることと理解し、Aの積み残し案件として処理せざるを得ないものと考えた。

(3) 被告人は、Bがイトマンに入社したことを知り、雅叙園観光の粉飾決算や不正融資の情報を種に、Bを動かしてイトマンに接触することを思い立ち、まず、暴力団山口組系宅見組舎弟であるYに依頼して、Bと山口組との関係が薄いことを確認した。

同年八月上旬か中旬ころ、被告人は、偶然、東京のホテルでBと会い、居合わせたYの紹介で挨拶を交わした。被告人は、その後、Bを介してイトマンから資金を出させるため、Yに対し、大蔵省銀行局長やイトマンの取引金融機関宛に送付されたイトマンの内部事情を暴露した内部告発文書について、イトマンの力になれることを口実にして、Bと面談できるようYに依頼した。その結果、同年九月一九日ころに、東京都内のホテルで、被告人とBが面談することになった。

以上のとおり、被告人が、Aとの会食後、イトマンに対し、各種案件を次々に持ち込んで、執ように融資を求めたことから、Aは、被告人を敵に回さないようにするためには、被告人に融資名目で、ある程度の金を出さざるを得ないものと考えるようになり、Bに対し、被告人との関係の処理を指示した。他方、被告人は、Bを動かして、イトマンから金を引き出そうと考え、Bとの面談をYに依頼し、被告人とBとの面談が行われるに至ったものである。

(三) イトマンによるマスコミ対策

関係各証拠によれば、次の事実が認められる。

(1) 平成二年五月下旬、日本経済新聞に、「土地・債務圧縮急ぐ―住銀、融資規制受け協力」(同月二四日朝刊)、「『不動産投資過大でない』伊藤萬副社長」(同日夕刊)、「伊藤萬―有利子負債が急増―不動産投資―社長は『過大でない』」、「メーンバンクと方針食い違う」(同月二五日朝刊)などの表題で、イトマンが不動産投融資に過度に傾斜していることを指摘する記事が載ったことから、Aは、マスコミがA商法の問題点を大きく取り上げて、Aが大きなダメージを受けることを恐れ、Bに対し、イトマンの広報関係の充実を指示した。

そこで、Bは、lに依頼して、マスコミ対策のため、同月、lが実質的に経営する株式会社関西新聞社の代表取締役社長であるoらを入社させた。そして、oは、当初は社長室広報担当参与、同年六月からは企画業務本部副本部長として、イトマンのマスコミ対策を担当することになった。

(2) 同年六月、Aは、株式会社経済界代表取締役兼雑誌「経済界」主幹で旧知のpに対し、「e会長から来いと言われているが、行かない。住友銀行との関係がうまくいっていない。e会長から、住友銀行副頭取をイトマンの社長にして、自分を会長にすると話があったが断った。」、「日経にいろいろ書かれて困っている。先生、助けてください。」などと言って、「経済界」にイトマンを支援する記事の掲載を依頼した。

その結果、「経済界」に、「企画監理本部の新設はA・イトマンの起爆剤となるか―黒い噂を一蹴して体制固めに入ったが」(同年七月二四日号)、あるいは「B(イトマン常務)―雅叙園観光問題で独占告白」(同年八月二八日号)との表題で、イトマンのA及びBを擁護する記事が掲載されたが、その謝礼として、株式会社経済界に対し、イトマンが二億円、協和綜合開発が五〇〇〇万円を支払った。

(3) oは、イトマン入社後、株式会社日本経済新聞社(以下「日本経済新聞社」という。)との関係改善が必要と考え、b副社長を同新聞社関係者に引き合わせた上、以後、Aの指示により、b副社長及びD副社長が同新聞社記者らと対応した後、同新聞同年六月三〇日朝刊に、「伊藤万前期連結―長短貸付金が倍増―純利益は二四%増で最高」との表題により、イトマングループの連結決算の内容とともに、住友銀行首脳の談話として、イトマン及びイトマンファイナンスの借入金がいずれも事業に必要な資金であり、資産にも不良なものはないと聞いており、貸付態度を変えるつもりはないとする記事が掲載された。

また、oは、同年七月上旬ころ、日本経済新聞社の関連会社である株式会社日本経済広告社から、同年一二月ハワイで開催される世界女子マッチプレーゴルフ大会の冠スポンサー(契約金二億五〇〇〇万円)の勧誘を受けて、同社が日本経済新聞社と関係が深いものと考え、イトマンのイメージアップのほか、日本経済新聞社対策も兼ねて、A及びBの承認を得た上、同年八月八日、契約締結に踏み切ったが、契約締結後になって、同社と日本経済新聞社との関係が薄いことを知った。

(4) 同年七月二七日ころ、創出版営業企画部長のqがイトマンのr広報部長に対し、「衝撃レポート①―住友銀行の『ドン』eにしのび寄る『老害』」との表題で、住友銀行のe会長を批判するとともに、e会長とAやイトマンとの関係を皮肉った記事の載った月刊誌「ビッグ・エー」のゲラ刷りを見せた。

そこで、rがoにそのゲラ刷りをファックスで送り、oからA及びBに報告された。Aは、Bに対し、その記事の掲載を食い止めるように指示した。そこで、Bは、そのゲラ刷りを、イトマンの絵画取引に関連して付き合いのあった住友銀行e会長の娘婿に当たるsを介して、e会長にも交付し、e会長及びsからも、その掲載食い止めを依頼された。

oは、lにも、そのゲラ刷りを送り、記事の掲載食い止めのために活動するよう依頼した。そこで、lは、被告人に会って、記事の掲載を止めるよう要求し、押し問答の末、被告人に記事差し止めを承諾させ、その後、Bに、その旨を報告した。

以上のとおり、Aは、日本経済新聞にイトマンの過剰な不動産投融資を指摘する記事が載るなどしたことから、その波及を恐れ、Bに指示し、oを入社させるなどして、イトマンのマスコミ対策部門の陣容を固めた。そして、イトマンは、「経済界」にA及びBを擁護する記事を掲載させるのに二億円、日本経済新聞の記事対策のため日本経済新聞社の関連会社と契約するのに二億五〇〇〇万円を支出した。さらに、雑誌「ビッグ・エー」に掲載予定の、住友銀行のe会長を批判するとともに、e会長とAやイトマンとの関係を皮肉る記事のゲラ刷りを入手するや、AがBに記事の掲載食い止めを指示し、lが被告人に働きかけたことにより、記事の掲載を止めさせるなど、A及びBは、イトマンとして多大の犠牲を払っても、A、Bらに対するマスコミの攻撃を防ごうとしたものである。

(四) 本件融資決定前後の状況

関係各証拠によれば、次の事実が認められる。

(1) 平成二年九月上旬、雑誌「週刊新潮」に、「イトマンが常務に迎えた『地上げ屋』の『力量』」というA及びBを批判する記事が、同月一六日には、日本経済新聞朝刊に、「伊藤万グループ―不動産業などへの貸付金―一兆円を超す―住銀、資産内容の調査急ぐ」との表題で、イトマンの過剰な不動産融資及び住友銀行によるイトマンの資産内容調査に関する記事が掲載された。

Aは、非常に腹を立て、「これは住銀が流している。eは何を考えている。eをもっとガードしろ。」、「マスコミに対しては、打てるだけの手を打て。」と指示し、Bも、これに同調して、住友銀行のe会長の動静を探る趣旨から、e会長に対し、電話で連絡を取るようになった。

(2) 同月一九日ころ、被告人は、Yの仲介でBに会い、Bに対し、大蔵省銀行局長等に宛てた前記内部告発文書の出所を調査したり、日本経済新聞や週刊新潮対策もできる旨申し出、Bは、被告人にそうした対策をとるように依頼した。その際、被告人は、「Aは信用できない。約束を守らない。aに、何回もプロジェクトを持ち込んだが、何も言ってこない。」と文句を言った上、JR京都駅北側の土地買収資金として一五〇億円ないし二〇〇億円の融資を求めた。Bは、すぐに断りたいと思ったが、被告人が機嫌を損ねて、イトマンやAを誹謗中傷する記事を書くことを恐れ、「前向きに検討する。」と答えた。

翌二〇日ころ、被告人の依頼に応じて、XらJR京都駅北側の地上げ関係者が上京したが、Bが融資に消極的姿勢を示し、Xらも、その土地を他に売却することに決めたため、右融資話は頓挫した。しかし、被告人は、Bに対し、「Xに三〇億円を返さなければならないし、運転資金もいるので、どうしても四〇億円いる。何とかならないか。」と資金繰りの苦しさを訴えた。そこで、Bは、被告人の要求の矛先を変えさせるとともに、被告人が売却先を探してきた場合には、被告人に対する融資金の回収も容易になると考え、被告人に対し、イトマンが保有する東京吉祥寺のイトマンファッションビル、兵庫県西宮市苦楽園の土地等を仕切り値以上で売却できた場合には、仕切り値を超える部分を被告人の利益にしてもよいと提案し、被告人もこれを了承した。

(3) 同月二二日ころ、当時企画監理本部付き・理事であったaは、Bの指示に従い、被告人と連絡を取って、週刊新潮や写真週刊誌「フォーカス」など新潮グループの情報に通じている者として、週刊新潮の元記者のtを紹介された。aは、tから、同日、「フォーカスがAとBを追っているので注意しなさい。」と聞き、同月二五日ころには、イトマン関係の記事が「フォーカス」同月二八日発売号に掲載されないと聞いたため、その都度、Bに報告し、BはAに報告した。

(4) 被告人は、同月二六日ころ、本件霊園開発等の事業資金を名目とする四〇億円の融資を要求し、その担保の候補として、本件山林のほか、石垣島白保の土地及び横須賀市秋谷の土地を提示し、Bは、「調査をするので少し待ってほしい。」と答えた。

その際、被告人は、「住友銀行がイトマンの情報を流しているらしい。住友銀行にショックを与えるために、銀行幹部を告発して、住友銀行を牽制したらどうか。」と提案した。Bは、この提案に同意するとともに、被告人に対し、日本経済新聞社がイトマンの内部情報を入手した経緯の調査を依頼した。

翌二七日ころ、被告人は、Bに、日本経済新聞に関する資料を手渡すとともに、同新聞社の社長と住友銀行のe会長との会談を設営できる旨申し入れたところ、Bは、被告人に話を進めるよう依頼した。そこで、被告人は、e会長の娘婿であるsに連絡を取ったが、sからその申し出を断られた。

(5) 同月二八、九日ころ、tが、aに対し、「週刊新潮が取材をしている。取材チームを組み、『イトマンは第二の安宅か』という表題で特集記事を組んでいるようだ。」と連絡した。Bは、aからその旨の報告を受けるとともに、e会長からも同旨の連絡を受けた。そこで、Bは、週刊新潮に対する対策を協議するため、同月三〇日、e会長及びAに連絡を取り、大阪市内のホテルに集まることにした。

同月三〇日、e会長、A及びBが大阪市内のホテルに集まり、週刊新潮の記事掲載を食い止めようとして、e会長が株式会社新潮社(以下「新潮社」という。)等に電話し、週刊新潮編集部からの電話の取材にも応じた。また、Bは、Aの指示により、被告人に、電話して、記事掲載の食い止めを依頼したところ、被告人は、これを了承するとともに、週刊新潮を牽制するため、抗議の内容証明郵便を発送することを提案し、Bもこれに賛同した。

(6) 同年一〇月二日ころ、Bは、前認定のとおり、Aから、被告人への一〇億円融資の了解を取り付けた上、被告人との会談に臨み、新潮社宛の抗議の内容証明郵便の文案を検討し、週刊新潮がイトマンを誹謗する記事を掲載した場合には、一〇〇億円以上の損害賠償を請求する旨の文案を確定した。その後、被告人は、B、a、E副本部長らに対し、融資に関して、石垣島や本件山林の物件の説明をしたが、その日は、結論を先に持ち越した。また、Bは、被告人に、前記イトマンファッションビル、苦楽園の土地等の簡単な資料を手渡した。

同月三日ころ、前認定のとおり、Bと被告人との間に、本件山林を担保とする一〇億円融資の話が決まった。被告人は、融資の担保として、本件山林のほか、横須賀市秋谷の土地も提供したが、Bは、同土地も担保に取ると、より多くの融資を要求されることを恐れ、本件山林だけを担保に取ることにした。

なお、イトマンでは、同月二日、前記内容証明郵便を、顧問弁護士名で新潮社宛に発送したが、同月四日ころ発売の週刊新潮には、「『住友銀行』『伊藤萬』心中未遂の後始末」という表題で、イトマンは住友銀行にとって「第二の安宅」になるのかという趣旨の記事が掲載された。

(7) 同月七日、e会長が、同銀行元青葉台支店長が逮捕されたことを契機に、辞意を表明した。そのため、イトマンでは、A、B以下の幹部が大阪市内のホテルに集まって、善後策を協議し、マスコミや金融機関に対し、不動産投融資を平成三年三月までに約三五〇〇億円圧縮する計画を発表することを決め、翌日、b副社長が記者会見することが決まった。

翌八日から九日にかけて、新聞報道において、b副社長が記者会見して、不動産投融資三五〇〇億円の圧縮を発表し、その際、イトマンの経営危機は否定したものの、A振出名義の手形が市中の金融業者に出回っていることを認めたこと、住友銀行のk頭取が、当時のイトマンの不動産投融資を過大とし、イトマン支援の条件としてB退任を要求していることを認めたこと、e会長が、イトマンの過大な不動産投融資が大きな問題であることを認めたこと、イトマン株がストップ安になったことが大きく報道された。

このような状況の中で、本件融資が実行された。

なお、Aは、その検察官調書(二四四)において、平成二年九月三〇日、e会長、A及びBが週刊新潮対策のため大阪市内のホテルに集まった際、Bから被告人のことを聞いたことはなく、また、同年一〇月二日ころ、本件融資の話を聞いた際にも、Bからマスコミ対策の関係で被告人の話を聞いたことはない旨供述するが、Bは、その検察官調書(二四八)において、同年九月三〇日、大阪市内のホテルで、Aから、週刊新潮の記事掲載を食い止めるため、被告人に連絡を取るようにとの指示を受け、午前零時ころ、被告人と電話連絡が取れたこと、同年一〇月二日ころ、Aに対し、被告人には週刊新潮の記事のことでいろいろ世話になっており、被告人と新潮社に対する抗議の内容証明郵便に関する協議をすると話した旨供述している。しかも、前に認定した本件融資前の状況に照らすと、Aは、マスコミ対策等に必死に取り組んでいた時期であるところ、イトマンには、同年九月二二日ころより、被告人から紹介を受けたtから、随時、週刊新潮やフォーカスに関する情報がもたらされ、同月二七日ころ、被告人から、日本経済新聞に関する資料が持ち込まれ、更に、同年一〇月二日ころには、イトマンの顧問弁護士名で新潮社に対する抗議の内容証明郵便が発送されたのであるから、Aにも、その全部又は一部が、被告人の関与の事実とともに報告されていたものと優に推認することができる。したがって、Aの前記供述は採用しない。

以上のとおり、週刊新潮がA及びB批判の記事を掲載したところ、被告人がBに会い、事業資金名目の融資を求めるとともに、マスコミ対策もできる旨申し入れ、その後、被告人も加わって、A、Bらによるマスコミ対策や住友銀行対策が行われる中、本件融資が決定された。ところが、住友銀行のe会長が辞意を表明したため、一気にイトマンの経営危機が現実化し、A及びBも、対外的に不動産投融資の大幅圧縮を公表せざるを得なくなった状況の中で、本件融資が実行されたものである。

3  本件融資を行ったA及びBの動機

以上認定した本件融資に至る一連の経緯に、A及びBの一連の供述を総合すると、本件融資を行ったA及びBの動機は、次のようなものであったと認められる。

(一)  Aは、敵対する役員等を退けて、イトマンの社長として、社内における確固たる地位を築いたが、住友銀行によりその地位を追われることを恐れて、その地位を守るため、粉飾決算を含む違法不当な会計処理をしてまで、イトマンの見掛け上の増収増益を維持しようとし、そのため、多数の不動産案件を有するBを入社させて、イトマンの利益出しに協力させようとした。また、Aは、マスコミの報道や裏情報誌の記事内容に神経質であり、マスコミ対策には、多額の会社の資金を使うことも厭わなかったが、被告人の経営する創出版の月刊誌「創」にA批判の記事が載った後、被告人からの面談要求に応じて会った際、被告人からの融資要求に対して、「良い案件があったら、協力させてもらいます。」と答え、その後、被告人からaを通じて繰り返し融資の要求がなされたため、被告人を敵に回すことを恐れて、Bに、被告人との関係をうまく処理するように指示した。その後、イトマンの経営危機が表面化し、マスコミによるイトマンやA及びBに対する攻撃が続き、更に、住友銀行のe会長を批判し、e会長とAやイトマンとの関係を皮肉った記事が、被告人の経営会社の発行する雑誌に掲載されそうになり、イトマンが掲載の食い止めに動くなどした後、被告人がマスコミ対策や住友銀行対策に協力する姿勢を示したことから、Aは、被告人を敵に回すことにより、被告人から、裏情報誌にAらの批判記事を掲載されるなどして攻撃されることを回避するとともに、被告人をイトマンのマスコミ対策等に活用しようと考え、本件融資に踏み切ったものである。

(二)  Bは、自ら経営していた協和綜合開発の資金繰りが苦しくなったため、Aの誘いに応じて、イトマンに入社し、イトマンの違法不当な利益出しに協力するとともに、イトマンの資金により自らの事業を推進しようとして、Aと利害を共通にすることになったものであるが、Aから、イトマンに融資要求を繰り返していた被告人との関係をうまく解決するように指示され、Aの積み残し案件として被告人からの融資要求を処理せざるを得なくなった。そのころ、イトマンの経営危機が表面化して、マスコミによるイトマンやA及びBに対する攻撃が続いていたが、Bが被告人の求めに応じて面談した際、被告人がイトマンのマスコミ対策や住友銀行対策にも協力する旨表明したことから、Bは、Aの積み残し案件としての被告人の融資要求を解決するとともに、被告人をイトマン側に取り込むことにより、マスコミ対策等に活用しようと考え、本件融資を行ったものである。

二  A及びBの図利加害目的

1  図利加害の認識・認容

本件融資は、前に認定したとおり、返済能力がなく、かつ、資金繰りに窮していた被告人の経営するアルカディアに対して、担保余力のない本件山林を担保として、九億九六〇〇万円もの資金を融資したのであるから、被告人を一方的に利するものである。また、本件融資の結果、イトマンは、一〇億円もの資金を借り入れた上、実質的に無担保で、返済能力のない被告人の経営するアルカディアに貸し付けたのであるから、本件融資が本人であるイトマンを害することも明らかである。

そして、A及びBは、前に認定したとおり、本件事業の成否及び採算の見通しについて悲観的な調査結果が出ていたのに、これらに関する被告人の釈明内容について裏付けを取らず、本件山林の担保価値を十分検討することもなく、しかも、被告人及びアルカディアに本件融資金の返済能力があるとも考えず、かつ、本件融資金が被告人の資金繰りに流用されることを知りながら、本件融資を決定し実行したのである。したがって、A及びBは、いずれも、本件融資の結果、被告人を利するとともに、イトマンに財産上の損害を与えることを、十分認識し、かつ、認容していたものと認めるのが相当である。

2  イトマンの利益を図る動機・目的の有無

弁護人らは、A及びBが本件融資を実行した動機に関して、マスコミにより、イトマンの経営状態に関する芳しくない報道がされると、金融機関がイトマンに対する貸付金の返済を求め、かつ、新たに融資を受けることが難しくなるから、イトマンにおけるマスコミ対策は、イトマンの利益となるほか、Bが被告人に委ねた、イトマンの債務圧縮のためのイトマン保有物件の処分も、イトマンの利益となり、したがって、被告人をイトマンのマスコミ対策や債務圧縮に活用しようとすることは、まさに本人たるイトマンの利益を図ったものである旨主張する。

確かに、Bは、被告人に対し、東京吉祥寺のイトマンファッションビル、西宮市苦楽園の土地等のイトマンが保有する不動産の売却の仲介を依頼したが、その主たる目的は、前に認定したとおり、被告人からの度重なる多額の融資要求の矛先を変えることにあったというべきである(Bの検察官調書《二四七》及び公判証言《第一回》参照)。しかも、関係各証拠によれば、イトマンでは、本件融資前の平成二年九月二〇日、住友銀行に対し、イトマンファッションビルを担保に提供していること、Bは、イトマンの他の社員に対しては、被告人にイトマン保有不動産の売却を依頼したことを話していなかったこと、イトマンでは、部内でも、不動産関連投融資圧縮のため、イトマン保有不動産の売却に動いていたことが認められる。したがって、Bとしては、本件融資をしてまで、被告人に対し、イトマン保有不動産の処分を委ねなければならない事情はなく、被告人からの強い融資要求に対処するための便法として用いたにすぎないものと認められるから、イトマン保有不動産の売却仲介を依頼したことは、本件融資の動機ではなかったというべきである。

また、イトマンでは、前に認定したとおり、Aがその地位保全を図り、増収増益の外観を作り出すため、不動産関連融資の見返りとして、融資先から企画料等を徴収するなど、会計処理上違法・不当というべき無理な利益出しを繰り返していたが、Bも、その途中より、イトマンから資金援助を受ける見返りとして、イトマンに入社し、この利益出しに全面的に協力するようになって、AとBの利害が一致し、両者が運命共同体化していたところ、この利益出しに伴って生じたイトマンによる過剰な不動産関連融資の問題点をマスコミから指摘されるや、A及びBは、前認定のように、多額の会社資金を使い、脅迫紛いの手段を含む様々な方法を用いて、マスコミによる報道を押さえ込もうとしたのである。したがって、A及びBが推し進めたマスコミ対策は、イトマン固有の利益を守ろうとするものではなく、A及びBが推し進めてきた違法・不当な会計処理等を含む経営の実態を隠蔽し、Aのイトマン社長としての地位及びAと利害の一致するBの地位を保全することによって、A及びB個人の利益を守ることに目的があったものと認めることができる。

さらに、A及びBが本件融資を行った動機には、前認定のとおり、このようなマスコミ対策とともに、住友銀行対策も認められるところ、本件融資当時、住友銀行首脳がAの退任及びBの解任を求めていたことを考慮すると、これもA及びBのイトマンにおける地位保全を目的とするものというべきである。

以上のとおり、前記のような動機・目的をもって、イトマンに対し金利分も含めて一〇億円もの財産上の損害を強いる本件融資を行ったA及びBには、イトマンの利益を図ろうとする動機・目的がなかったものと認めるのが相当であるから、弁護人らの前記主張は理由がない。

3  よって、A及びBが本件融資を実行した動機は、本人たるイトマンの利益を図るためではなく、被告人から、裏情報誌にAらの批判記事を掲載されるなどして攻撃されることを防ぐとともに、被告人をマスコミ対策や住友銀行対策に利用することによって、A及びBのイトマンにおける地位という右両名の個人の利益を守ろうとしたことにあり、A及びBは、このような動機から、被告人の利益を図り、イトマンに財産上の損害を与えることを認識・認容しながら、本件融資を決定し実行したものと認めることができるから、A及びBには、図利加害の目的があったものと認められる。

第五  結論

以上の次第で、A及びBは、被告人の利益を図り、イトマンに損害を加える目的をもって、それぞれその任務に背き、本件融資を決定し実行したのであり、しかも、その結果、イトマンに多大の財産上の損害を与えたものと認められるから、右両名について、特別背任罪が成立するものと認めるのが相当である。

〔被告人とA・Bとの共謀の成否について〕

一  任務違背及び財産上の損害発生に対する認識について

1 財産上の損害に対する認識

(一) 本件霊園開発の実現性に対する認識

前認定のとおり、被告人は、昭和六〇年一一月九日付けで、神奈川県から、法令上の規制により、本件山林の霊園開発の実現性が見込めないとの書面回答を得ており、昭和六一年一一月ころ、神奈川県担当者から、同様の理由により、霊園開発計画を断念するように指導を受け、更に、平成二年五月ころ、本件山林の進入路としての確保が必要とされる国土計画所有地について、国土計画から売却を断られている上、昭和六一年三月に本件山林を入手してから本件融資までの約四年半の間に、自ら又はその関係する会社、法人等を介して、本件山林の許認可の申請はもちろん、事前協議の申請もしたことがないのである。しかも、被告人は、本件山林の所有者で、かつ、自ら本件山林を墓地霊園として開発しようと企てていたのであり、前に認定した本件山林を開発する上の各種問題点についてすべて熟知していたものと推認できるから、被告人は、本件山林における霊園開発を実現できる可能性がほぼ皆無であることを十分認識していたものと認めるのが相当である。

なお、関係各証拠によれば、被告人は、本件山林における霊園開発に対する許認可の可能性について、東方土地やイトマンの関係者に対し、国会議員、神奈川県知事の秘書やブレーンを使って許認可を取ることができると説明していたことが認められるが、被告人が国会議員等を現実に使って活動したことを窺わせる証拠はなく、しかも、神奈川県担当者から計画の断念を指導されてから本件融資を受けるまでの約三年間に、被告人やアルカディア等からの許認可申請がなされた形跡もないから、被告人の右説明は、融資を受けるための方便、あるいは被告人の単なる希望を述べたに過ぎないものというべきであって、前の認定を左右するに足るものではない。

(二) 本件山林の担保価値に対する認識

前認定のとおり、本件山林の評価額は最大限二四億円余りにとどまり、債権額二五億円の先順位抵当権が設定されているから、担保余力はないというべきところ、被告人は、不動産取引の経験が豊富で、かつ、本件山林の価値を最も知り得る立場におり、しかも、関係各証拠によれば、被告人は、平成元年八月ころ、東方土地に対し、本件山林を担保として一〇億円の追加融資を求めた際、東方土地から断られた経験を有することが認められるから、被告人としては、本件山林に担保余力のないことを十分認識していたものと認められる。

(三) 被告人の返済能力に対する認識

関係各証拠によれば、被告人は、被告人自身及びアルカディア、旧アルカディア、東京トレーディング等の関連会社の資金繰りを自ら単独で行っていたことが認められるから、前認定の被告人の返済能力に関する事実は、いずれも被告人が熟知していたというべきである。したがって、被告人は、本件融資を受けたとしても、自ら返済する能力のないことを十分認識していたものと認められる。

これに対し、被告人は、捜査段階から、イトマン保有不動産の売却を仲介することにより得られる利益や、イトマンに融資を斡旋する手数料により、本件融資金を返済できると考えていた旨供述している。しかし、前に認定したとおり、被告人がイトマン保有不動産の売却仲介に成功する可能性は低く、その仲介手数料等から本件融資金を返済できる可能性も極めて乏しいというべきところ、不動産の取引経験が豊富な被告人としては、こうした事情は十分認識していたものと推認することができる。また、被告人がイトマンに対する融資を斡旋するという話は、被告人の供述に従ったとしても、本件融資後の平成二年一〇月一〇日ころ、BやD副社長との間で条件等の話が出たが、具体化しないまま立ち消えになったとされており(検察官調書《二五八》、公判供述)、しかも、その当時、住友銀行以外の各金融機関は、イトマンの信用不安から、イトマンへの貸付金の引上げを図ろうとする動きを活発化していたことは、前認定のとおりであって、被告人がイトマンへの多額の融資を斡旋する可能性はなかったものというべきであるから、被告人の右供述は採用しない。

(四) まとめ

以上のとおり、被告人は、本件山林における本件霊園開発が実現する可能性はほぼ皆無であり、本件山林には担保余力がなく、被告人には、本件融資金を自ら返済する能力のないことを十分に認識しながら、本件霊園開発の事業資金を名目として、本件山林を担保に本件融資を受けたのであるから、被告人は、本件融資の結果、イトマンに対して、多額の財産上の損害を生じさせたことを十分認識していたものと認められる。

2 任務違背に対する認識

弁護人らは、被告人がBを介して必要な資料を提供し、本件霊園開発の事業の成否や採算性の有無、本件山林の担保価値、そして本件融資の可否に関する判断をすべてイトマン側に委ねていたのであり、被告人自身は、イトマン社内の手続は全く知らず、イトマンの担当者から説明を受けたこともないから、A及びBに任務違背があったとしても、被告人はそれを知ることができなかった旨主張する。

しかしながら、前に認定したとおり、被告人は、本件融資の結果、イトマンに対し、多額の財産上の損害を生じさせたことを十分に認識していたのである。しかも、本件融資の当時、イトマンでは、不動産関連の過剰な投融資が表面化してマスコミに書き立てられ、金融機関が貸付金の引上げを図るなど、信用不安が現実化し、資金繰りが逼迫して、いつ倒産してもおかしくない状態に陥っており、そのため、イトマンでは、Aの指示により、不動産案件に対する新規の投融資をストップし、融資金を回収するなどして、不動産関連投融資を大幅に圧縮する計画を公表していたことは、前に認定したとおりであり、関係各証拠によれば、被告人は、このようなイトマンの状況について、一連のマスコミの報道、Bからの状況説明等により十分認識していたものと認められる。また、被告人は、マスコミによる報道のほか、自ら経営する雑誌社の発行する雑誌の記事等を通じて、前に認定したようなA及びBによるイトマン経営上の問題点の概要を十分に知っていたものと推認することができる。

さらに、前認定事実によれば、被告人は、本件融資前の平成二年九月二六日ころ、Bに、本件霊園開発の事業資金名目で四〇億円の融資を要求したこと、同年一〇月二日ころ、イトマンの担当者であるE副本部長やJ東京開発室長から、こもごも「霊園開発をやるには宗教法人でなければならない。場所は国立公園内で開発許可は取れない。イトマンは、過去に霊園事業でひどい目に遭ってやけどをし、墓地がらみの融資は社内的に無理だ。」との指摘を受けたのに対し、「宗教法人は準備してある。神奈川県知事の秘書室長やブレーンは学生運動時代の仲間だから、開発許可は間違いなく下りる。」と釈明したにすぎないこと、被告人がイトマン側に交付した同年九月付けの本件霊園開発事業計画書の「墓地計画図」では、国土計画所有地も事業対策とされているが、同土地を買収できる可能性はなかったこと、ところが、翌三日ころ、Bが被告人に、「担保の関係で、一〇億円しか融資できない。」と伝え、本件融資が決まったことが認められる。しかも、関係各証拠によれば、右事業計画書では、アルカディアのほか、被告人が代表理事を務める国際宗教同志会連盟も事業主体とされているが、同連盟は、寄附行為の目的として墓地・霊園に関する定めがないため、同連盟が主体となり霊園開発を行うことはできず、寄附行為の変更も難しいこと、被告人は、文化庁文化部宗教課の担当者から、直接又はO弁護士を介して、同連盟が霊園開発の事業主体となり得ないとの説明を受けていたこと、そのため、被告人は、霊園開発に利用する財団法人を別に準備しようとしたが、結局、具体化しなかったことが認められる。したがって、被告人は、Bらイトマン側が十分な裏付け調査をすることなく、本件融資に踏み切ったことを知っていたものと優に推認することができる。

以上のとおり、被告人は、A及びBが、イトマンには、不動産関連融資はもちろん、一般の融資を行う資金的余力もないのに、十分な裏付け調査もすることなく、イトマンに多額の財産上の損害を与える本件融資に踏み切ったことを認識していたのであるから、被告人には、A及びBの各任務違背について、十分な認識があったものと認められ、弁護人らの前記主張も採用しない。

二 図利加害の目的について

1  図利加害の認識・認容

前認定事実によれば、被告人は、本件融資の結果、被告人が実質的に無担保で使途の制限のない九億九六〇〇万円の資金提供を受けることにより、多大の利益を受ける反面、イトマンが多額の財産上の損害を負うことを、十分認識しかつ認容していたものと認められるから、被告人は、本件融資に加功するに当たり、図利加害の認識及び認容を有していたと認めることができる。

2  A及びBの図利加害目的の認識

前に認定した被告人の認識内容に、本件融資に至る経緯を併せ考慮すると、被告人としては、その公判供述及び検察官調書(二六〇、二六二)において概ね認めているとおり、A及びBが本件融資に踏み切った動機、すなわち、被告人から、裏情報誌にAらの批判記事を掲載されるなどして攻撃されることを防ぐとともに、被告人をマスコミ対策や住友銀行対策に利用しようとしていることを認識していたものと認められる。しかも、被告人は、前認定のとおり、A及びBによるイトマン経営上の問題点についても十分知っていたのであるから、A及びBが推し進めたマスコミ対策が、イトマン固有の利益を守ろうとするものではなく、A及びBが行った違法・不当な会計処理等を含む経営の実態を隠蔽し、Aのイトマン社長としての地位及びAと利害が一致するBの常務取締役としての地位を保全することによって、A及びB個人の利益を守ることに目的があったことも知り得たものである。したがって、被告人としては、A及びBの図利加害目的についても認識していたと認めるのが相当である。

3  イトマンの利益を図る動機・目的の有無

前認定事実を総合すると、被告人が本件融資を受けたのは、自己の資金需要を充たすことのみを目的とするものであって、イトマンの利益を図ろうとする動機・目的はなかったものと認められる。

もっとも、被告人は、前に認定したとおり、平成二年九月下旬ころ以降、Bからの依頼に応えるなどして、イトマン側に対し、週刊新潮の元記者を紹介し、日本経済新聞に関する資料を提供し、新潮社に対する抗議文の起案に協力し、更には、イトマン保有不動産の売却先を探すなどの行為もしているほか、関係各証拠によれば、被告人は、同年一〇月中旬ころ、顧問弁護士らとともに住友銀行首脳を告発する告発状を起案して、Bに手渡したことが認められる。しかしながら、前認定の本件融資に至る一連の経緯に照らすと、被告人によるこれらの行為は、自らの事業経営に行き詰まり、資金的にも逼迫していた被告人が、A及びBのマスコミ対策や住友銀行対策に協力して、右両名との関係の緊密化を図ることにより、イトマンからの資金導入に新たな活路を見出そうとしたものにすぎず、イトマンの利益を図ることを動機・目的としたものでなかったことは明らかである。

したがって、被告人には、本件融資に関し、イトマンの利益を図る動機ないし目的がなかったものと認められる。

4  被告人の図利加害の目的

以上のように、被告人が本件融資を受けた動機は、本人たるイトマンの利益を図るためではなく、イトマンから資金提供を受けて自己の資金需要を充たそうとしたものであり、かつ、本件融資の結果、イトマンに多額の財産上の損害を与えることを認識しかつ認容していたのであるから、被告人には、本件融資に関し、図利加害目的があったものと認められる。

三 任務違背行為への積極的加功について

本件融資に至る経緯は、前に認定したとおりである。すなわち、被告人が経営する雑誌社の発行する月刊誌「創」にA商法を批判する記事が掲載されたところ、イトマンのa取締役が被告人との接触を求めてきた。そこで、被告人は、aに対し、事業資金の融資とAとの面談を強く要求し、その結果、Aと面談したが、その際、Aが、「良い案件があったら、協力させてもらいます。」と話したことから、その後、aに対し、執ように融資及びAとの再度の面談を要求したため、aから報告を受けたAは、Bに対し、被告人からの融資要求をうまく解決するように指示した。他方、被告人は、Bのイトマン入社を知って、Bとの接触を図り、Bに対して、事業資金名目の融資を繰り返し強く求めるとともに、折からマスコミによる過剰な不動産投融資の批判にさらされていたA及びBにマスコミ対策や住友銀行対策に関して協力する姿勢を示したことから、A及びBは、被告人による裏情報誌を使った攻撃を防止するとともに、被告人をマスコミ対策等にも利用しようとして、本件融資に踏み切ったものである。

以上のように、被告人は、イトマンに対して、合理的な理由もないのに執ように融資を迫り続けていたところ、A及びBがマスコミによる批判にさらされるや、マスコミ対策等に関して協力する姿勢を示しながら、融資を更に強く要求した結果、A及びBをして、その各任務違背及びイトマンの多額の財産上の損害を伴う本件融資を実行させたのであるから、本件融資は、被告人による積極的な働き掛け、すなわち、積極的加功により実現したものと認めるのが相当である。

四 結論

以上の次第で、本件融資の決定及び実行について、被告人は、A及びBの各任務違背及び図利加害目的並びにイトマンの財産上の損害を伴うことを十分認識しながら、自らの利益を図る目的で、A及びBに対し、積極的な働き掛けを行った結果、A及びBに、特別背任に当たる本件融資を実行させたのである。そして、前認定の被告人、A及びBの接触状況に照らせば、本件融資に伴う特別背任については、平成二年一〇月二日ころから同月八日ころにかけて、AとBとの間に、同月三日ころ、Bと被告人との間に、それぞれ順次共謀が成立したものと認めるのが相当である。

(法令の適用)

被告人の判示所為は、行為時には、刑法六五条一項、六〇条、商法四八六条一項に該当するが、被告人には会社取締役等の身分がないので刑法六五条二項により平成三年法律第三一号による改正前の刑法二四七条、罰金等臨時措置法三条一項一号の刑を科することに、裁判時には、同様の法律を適用して、右改正法による改正後の刑法二四七条の刑を科することになるところ、右は犯罪後の法令により刑の変更があったときに当たるから同法六条、一〇条により軽い行為時法の刑によることとし、所定刑中懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役二年に処し、同法二一条を適用して、未決勾留日数中六〇日を右刑に算入し、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して全部これを被告人に負担させることとする。

(量刑の理由)

本件は、共犯者である会社役員らに執ように働き掛けてその特別背任行為を促し、事業資金名目で多額の資金の提供を受けた事案であって、会社に与えた損害は約一〇億円にも及ぶ。また、共犯者の外交辞令に付け込み、自己の支配する雑誌を背景として、執ように、事業の成否や採算性あるいは担保余力など、裏付けを欠く融資を迫ったその姿勢は悪質である。また、被告人は、本件犯行による直接の利益をすべて享受しているのに、未だ被害弁償を全くしていない。しかも、被告人は、当初は事実関係を認め、裁判所に対し被害弁償を約束していたのに、被害弁償できないことが明らかとなるや、審理の引き延ばしを図ろうとするやり方は、非難に値し、反省の態度も窺われないなど、被告人の刑事責任は重いというべきである。

しかし他方、本件融資の背景には、自己の地位を守るため手段を選ばず違法不当な経営を続けていた共犯者らの経営姿勢が、本件犯罪の成立を容易にしたものと認められること、共犯者らも、その地位を保全するため、被告人をマスコミ対策等に利用しようとする意図が見受けられ、決して受動的とはいいきれないこと、本件犯行後、本件融資に対する担保として、横須賀市秋谷の土地が提供されていること、被告人には、会社の取締役等という身分がなく、前科もないことなど、被告人のために酌むべき事情も認められる。そこで、これら諸事情を総合考慮すると、主文に掲げた刑に処するのが相当である。

(裁判長裁判官近江清勝 裁判官中谷雄二郎 裁判官幅田勝行)

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